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by tohramiki
| 2014-05-31 23:59
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一年が経った。去年の今日、古く長い付き合いの友人が死んだ。僕が毎年出かけていく、兵庫県丹波篠山の「夏の兄妹たち」のひとりである。いや、自身ドラムを叩き地元を中心にセミプロのミュージャンとして活動するかたわら、当地でスタジオを経営。夏のコンサートではPAも担当していたから、中心人物と言っていいだろう。この一年ずっと、彼が何故死ななければならなかったのかを考え続けた。答えは出ない。ただ、とてもありきたりの言い方だが、このひどい世の中で生きていくには、ヤツは純粋過ぎたのだ──そう考えるのがやはりいちばんしっくり来る。ロックやジャズを演るのは、若い頃の一時期の夢だという考え方がかつてあった。青臭いことを言うな、大人になれよ、というわけだ。しかし、果たしてそうだろうかと、少なくとも僕は考えた。死んだ友人と知り合った頃、1970年代の終わりから80年代初めにかけてのことである。
![]() ※写真2010年8月15日朝、篠山市呉服町の旅館「玉川楼」にて。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。 ▲
by tohramiki
| 2014-05-30 23:12
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昨日に続いて2年前の今頃の、妙な写真を一枚。と言うのはコレ、iPhotoでは昨日アップしたカットの次にあったのです。あの駐輪場はおそらくJR中央線東小金井駅のもの。そしてこれは同駅近く、スタジオジブリの脇に建つ「JR変電所」近辺だと思われる。距離にして約200メートル。記録によると昨日のものが「日付:2012年5月17日/時刻:午後1時58分46秒」。そしてこれが同日「時刻:午後1時59分02秒」だから、時間的には合っている。その間わずか16秒。両方とも電車の窓から撮っている。新宿方面に向かって左側なので北だ。ちなみに中央線はほぼ東西に走っている。つまり方向は同じ。にも関わらず、何故こんなにも光の感じが違うのだろう。しかし、おそらく急に景色が変わったので思わずシャッターを切ったのだ。突然ゲリラ豪雨でも降り出したのだろうか? まったく覚えていない。
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by tohramiki
| 2014-05-29 23:59
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朝いちばんでジムへ。約1時間身体を動かしてから川崎市、小田急線沿線の新百合ヶ丘駅へ向かう。ここは僕が20才まで暮らした、言うならば地元の街だが、実家に戻ったわけではない。昨日の書いたとある企画でお世話になる方が、たまたまそちらに住んでおられたからだ。5月も後半になると、外は爽やかな薫風というわけにもいかなくなる。ホームに立っていても、湿度が高いのを感じる。梅雨がひたひたと近づいている感じ。写真は2年前の5月17日に撮ったもの。今日はカメラを持たずに出かけた。
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by tohramiki
| 2014-05-28 23:59
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書籍の企画書を書かなければならないのだが、これが進まない。一介のフリーライターであっても、時々こういうものも作成する必要に迫られることがある。書ける時というのはアイデアがどんどん湧いて止まらなくなることもあるだけれど、そういう時はおそらく『花子とアン』の安東はなちゃんのように、空想(妄想)が止まらなくなるのだと思う。それでは、書けない時というのは何故なのか? 矛盾するようですが、一応これでもプロフェッショナルなモノカキなので(という割に稼ぎが少ないのは別として(^^;))、企画書とはいえ「書けない」ということはない。書こうと思えば書けるのだけど、何ンかしっくりこないのです。ジグソーパズルの、カギになるピースが見つからないような。
![]() ※写真は近所の手作り家具屋さん。深夜に近い時間、閉店後のウインドーを写す。家具たちはひっそりと眠っているようです。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・800。 ▲
by tohramiki
| 2014-05-27 22:58
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昨夜は少し夜更かしして、夜中の3時過ぎまで起きていた。HDD録画しておいた、土曜日放映の『IPPON グランプリ』を観ていたのですね。途中トイレか何かに立とうとして、ストップボタンを押すとテレビ画面に戻りますよね。ラグビーの試合をやっていた。チャンネルは日本テレビ。しかし何か違和感があった。一瞬の後に気づいた。「あれ、音声が、出てない、ぞ」と、いっこく堂風に呟いてみる。そう、音が一切聞こえないんである。まず最初に思ったのは「ヤベ、遂にテレビ壊れたか!」だった。何しろ我が家のは薄型ならぬ厚型ブラウン管、1998年製の16年選手なのだ。人間の歳でいえば90才くらいだろうか(←何の根拠だ?)。しかし慌てて他のチャンネルに変えると、日曜の深夜なので放送していない局も多いのだが、普通に音の出てるところもある。
サッサと寝ればいいのだけれど、どうにも気になる。iMacの前へ行き日テレのホームページなんぞ覗いてみる。「お詫び」とか「電波障害のお知らせ」とかいうものが出ているかと思ったのだ。しかしそれらしきものはない。そうか、我が家はケーブルTVの「J:COM」だ。ならばと、そちらの方を見ても特に何も書いてない。うーむ、と考えて、「そうか、こういう時はTwitterだ」と、「日テレ 音声」と入れてみるとあった。「日テレ、音でないよ」「テレビ、壊れたか?」「ラグビー、音出てません」という呟きが。しかし数は少ない。のべ10件未満といったところか。結局寝て、朝起きて点けてみたら普通に音は出ていた。が、3時25分から予約録画しておいた、千原ジュニア・ケンドーコバヤシのトーク番組『にけつッ!!』はやはりすべて無音。 もう一度Twitterで検索してみると、「朝になったら直っていた」「どうもケーブルテレビ関連くさいけど、よくわからん」等のツイートが。そう、結局よくわからないままに終わったのでありました。いったい何だったんだろう? 昔々昭和の時代には、時々停電があった。夏の夜などは近所の人がゾロゾロと外に出て来て遠くの灯りを見廻し、「エート、あの辺りは点いてますなあ」なんてやってた。あの頃も結局は原因など判らないまま電気が復旧して、「おっ、点きましたな」「点いた、点いた」「それではおやすみなさい」なんて三々五々家に帰っていったものです。そんな昔のことを思い出した。ではまた明日。 ▲
by tohramiki
| 2014-05-26 23:59
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昨日の続き。『ボディプレス』という雑誌は丸2年間続けたのだけれど、こと撮影に関してだけ言えば、大まかに言って1年ずつの前半後半に分かれる。最初の1年が以前にもこの日記にアップした、もうひとりの相棒・杉本健一くんによる「モデルの肖像」というシリーズ。そして次の1年が江崎哲朗くんの「Moments in Love」である。前者はモノクロでモデルの私生活を追う、どちらかと言えばドキュメンタリー・フォト。そして後者は昨日今日とアップしたもののようにカラーで、ストーリー性のある作り込んだ写真である。これは杉本・江崎、両カメラマンの個性もあるのだが、それ以上に時代の変化であったと思う。端的に言えばたった1年で、一部でカルト的な人気を得るだけだったヌードモデルたちは、より一般的な、メジャーなマスコミにも露出する存在へと姿を変えていた。
![]() というよりも、実は早見瞳と渡瀬ミク、そして竹下ゆかりを除けば、その他は全員「T」というプロダクションのコであった。ところで話は少し変わるが、『ボディプレス』を終えることになった時、「モデルの肖像」と「Moments in Love」の写真はそれぞれ撮影者である杉本くんと江崎ちゃんに返した。「モデルの肖像」のネガに関しては昨年、杉本っちゃんがタイへ移住することになった際、僕が預かることになったので手元にあるのだが、「Moments in Love」のポジフィルムは今も江崎哲朗の元にある。にも関わらず何故こうして僕がアップ出来るかというと、数枚ダイレクト・プリントしてその紙焼きが残っているからだ。実は記念になるだろうからと、事務所宛で彼女たちに送るつもりでいた。しかしその後忙しさにかまけているうちに、翌々年、1988年の年明け、プロダクション「T」は職安法違反及び人材派遣法違反で摘発されてしまった。社長と専務が逮捕され、事務所も解散を強いられた。 おそらく派手に動き過ぎて眼を付けられたのだと思う。何しろ当時のモデル・プロダクションというのは、労働省(現・厚生労働省)認可すら受けていないところがほとんどだったのだ。杉原光輪子・森田水絵・山口美和は「美光水〈レイクス〉」というユニットを組み、早川愛美と秋元ともみは『オールナイトフジ』にレギュラー出演していたが、彼女たちは一気にマスコミから姿を消した。そしてほぼ同時にそんな深夜番組のブームも終わる。時代はいよいよ、本格的なバブルへと向かっていったわけだ。写真は1986年5月11日(当日は「母の日」だったらしい)、山梨県・小梅線小淵沢駅近辺の名も無き神社にて。当時「美少女」の代名詞的存在だった秋元ともみに、敢えて「旧制高校の制服で男装を」というアイデアだった。彼女は1967年の12月生まれだから、現在46才になっているはずだ。 ※写真はクリックしてもらえると、もう少し拡大されたものを見ることが出来ます。撮影・江崎哲朗、モデル・秋元ともみ。『ボディプレス』(白夜書房刊)1986年6月号「Moments in Love(秋元ともみロングインタヴュー)」より。 ▲
by tohramiki
| 2014-05-25 23:59
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昨日は夜になってから外出。カメラマンの江崎哲朗くんと高円寺のガード下でお酒を飲んだ。先日の「Moon Dancer&Tachyon」LIVEの時、彼は撮影で来ていたので機材があり、車だったこともありすぐに別れた。そう言えば去年十数年ぶりに仕事をした時も、遅い昼食を共にしただけだったので、週末だし久しぶりに飲もうか、ということになったんである。5月19日の日記にも書いが、僕たちは高校時代からの付き合いである。しかし18才の時に江崎ちゃんが地元川崎から都内に引っ越したということもあり、その後ずっとお互い音信不通になっていた。それが、約8年後に再び出会うことになる。まったくの偶然であった。当時僕は25才。白夜書房という出版社で『ボディプレス』という名のヌード・グラビア誌を作り始めた頃だった。
![]() 数時間後、編集部に現れたひょろりと背の高い男が僕を見て、「ああ、やっぱりだあ」と言った。「トウラなんて名前、そうそうないからさあ」と。かつて肩まで伸びていたストレートな長髪は、さすがにその当時の「今風」で、安全地帯の玉置浩二的に刈り上げられていたが、それはまさにかつて「川崎のジェフ・ベック」と呼ばれていた(僕が勝手に呼んでいた?)江崎哲朗その人でありました。いやはや驚いた。ミュージャンとして「売れる/売れない」という問題はあるだろうが、当然音楽の道に進んでいると思っていた。昨夜もその話になったのだが、20才を過ぎて、バイトもしつつハコバン(ディスコやキャバレーなどのハウスバンドのこと)などをやっていたそうだが、そのバイト先がたまたま新宿西口のヨドバシカメラの近くにあり、前を通るたび、ショーケースに並べられた一眼レフカメラにフト惹かれるようになったんだとか。 旧友が長い時間を経て偶然再会するということはままあるだろうが、それにしてもお互い駆け出しの編集者とカメラマンとして出会ったというのは、やはり縁というものではなかろうか? というワケで本日はそんな江崎哲朗くんの写真をアップしてみました。昨年5月19日にアップしたものと同じロケ。1986年8月、伊豆下田にて。偶然見つけた廃校の前にて。 ※撮影・江崎哲朗、モデル・早川愛美。『ボディプレス』(白夜書房刊)1986年9月号「Moments in Love(早川愛美ロングインタヴュー)」より。 ▲
by tohramiki
| 2014-05-24 23:59
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何時間寝ても眠り足りないという日々が過ぎたかと思うと、今度は夜中の2時に寝ても3時に寝ても、きっちり2時間で起きてしまうというのが続いていた(←アンナカは飲んでません、念のため(>_<))。それで夜明けから走り始めるということを続けていたのですが、昨夜はやっと6時間ぐっすり眠れました。午前7時より121分走る。この季節はやはり早朝よりも、気温がぐんぐん上がっていく少し遅い朝に走るのが楽しい。洗濯物もよく乾く、爽やかな一日でありました。
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by tohramiki
| 2014-05-23 23:59
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本日、東京都心ではゲリラ豪雨が降ったそうだ。虎ノ門近辺では午前11時過ぎからのたった約30分間に、数10ミリの降雨量を記録したとか。基本家に引き籠もって原稿を書く仕事なので、幸い傘もさせない雨に遭遇したことはないな──と思ったら、いや、あった。写真を撮った記憶があったので、iPhotoに「ゲリラ豪雨」と入れて検索してみると、2010年7月5日。〈藤元ジョージ監督打合せ@side-b〜ゲリラ豪雨〉というイベント・タイトルが付いている。「side-b」というのはAVメーカーだ。渋谷区東、金王八幡宮神社の近くにあった。おそらく今でもあるだろう。藤元監督には何度もインタビューさせてもらったことがある。でもわざわざ「打合せ」と書いているから、何か別の用事だったのだろう。でも、どういう内容の打合せで行ったのかは思い出せない。
![]() ※写真は10分ほどすると、何ともあっけなく傘をさして歩けるような普通の雨となり、渋谷駅東口の大横断歩道にたどり着いたところ。この時はまだ東横線が地下に潜っていなかった。今は少し風景が変わっているのだろうか? data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・800。 ▲
by tohramiki
| 2014-05-22 23:23
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