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昨日の続き──10日ほど前だったろうか、未知の方からメールを頂戴した。こんなふうに毎日飽きもせず日記を書いているのは、決して「ひとりごと」を言いたいからじゃない。届くかどうかは別として、誰かに何かを発信したいと思っているので、お便りを貰えるのはとても嬉しいし、決して珍しいことではない。ただ、件名が〈『追想特急』を拝見しました。〉とあるのが気になった。こちらはもう、2年以上休眠中なのだ。しかもその方は、2004年10月「金子さんのこと、菊地さんのこと」という、中でも特に古いエントリについてのお便りをくださったのだ。出来れば上にリンクした文章を読んで頂きたいのだが、映画『竜二』を製作主演し、公開直後に亡くなった金子正次と、彼の親友であり同作品にも出演した、役者で歌手の菊地健二について書いた。
金子正次の一周忌が近づこうとしていた頃だった。僕は昨日の日記でも触れた親友のK(『追想特急』では本名の小林広司と書いている)から連絡を貰う。「ライブをやりたいという役者の人がいるので、俺達でバックバンドをやろうぜ」という内容だった。それが、菊地健二だった。場所は幡ヶ谷にあったライヴハウス「よし田」。持ち主は『竜二』の初代監督だった吉田豊氏。同作の印象的なラストシーン、竜二と、幼い娘の手を引いた水島暎子演じる妻が別れる、あの坂道の近くにあったと記憶している。そしてメールをくれた方はこう書いていた。「私は1985年9月、幡ヶ谷の「よし田」で、菊地健二氏とグーススキンのライブ演奏を聴いた者です」と。グーススキンウイスキーというのが、学生時代からやっていた僕らのバントの名前だった。金子正次と映画『竜二』は語り継がれているものの、菊地健二のことはあまり知られていない──そう思って検索したところ、僕の文章に辿り着いたのだという。 しかも彼女はひなゆきさんという名で音楽活動をしている人で、少し前高円寺の〈グッドマン〉というライブハウスで弾き語りをした時には、菊地健二と僕らが26年前「よし田」で演奏した曲、「待ってろよ、待ってろよ」を唄ったという。「待ってろよ」とは、金子正次が生前好んで使った言葉だった。「今にみてろよ、いつか俺は誰からも注目される男になってやるからな」という意味だ。先に「よし田」のオーナーは『竜二』の初代監督、吉田豊と書いた。自主映画として始まったこの作品は、資金繰りからして紆余曲折があり、結局吉田氏は途中で降板、プロデューサーだった大石忠敏が「川島透」と名前を変え完成させる。しかし出来上がったものの尚、配給会社探しに奔走していた金子は、あの幡ヶ谷の坂道、通称6号通りで吉田と再会する。彼はその時も、「映画で男になってやるぜ」と口にしたという。この辺りのことは生江有二によるノンフィクション、『竜二〜映画に賭けた33歳の生涯』に詳しい。 それはともかく、ひなゆきさんは何故、あれ以来、おそらくほとんど演奏されたことのない「待ってろよ、待ってろよ」を覚え、唄ったのだろう。菊地健二はそのライブをやった僅か3年後、まるで親友の後を追うように亡くなってしまう。彼は自身の作品をレコードやCDとして一切残さなかったはずだ。しかしひなゆきさんは菊地のその他の曲名から、あの夜彼が黒いカンフー・スーツを着て唄ったこと、僕らのバンドにドラムやサックスが入っていたことなどを鮮明に記憶していた。お礼のメールを出すと返信が来た。当時彼女は幡ヶ谷から一駅先の初台に住み、「よし田」には偶然足を踏み入れ、その後2、3度通ったという。そして菊地健二のライブのことを知り、当日はラジカセを手にして店に行き、録音したのだという。 僕自身でさえ、1985年にやったその演奏、そして菊地健二によるオリジナル曲についてほとんど覚えていない。ひとつには10月26日の日記にも書いた『ボディプレス』の創刊が同年の10月(12月号)。マイナーなヌードグラビア誌とは言え、恐ろしいほど忙しい時期だった。きっとライブの後はその余韻に浸る暇もなく、日常に戻ったのだと思う。菊地さんを含めバンドのメンバーと集まって、当日の録音を聴くという機会もなかったのではないか? いや、そもそもあの日我々のうち誰か一人でも、演奏を録音していた者はいただろうか。菊地健二が亡くなり、バンドリーダーだったKも3年前に死んでしまった今、それは知りようもない。けれど、まったくの偶然に一人の女の子──メールには「私は初台の6畳一間のアパートでひとり暮らしをはじめたばかり」とある──が録音し、繰り返し聴いて、しかも今尚自身で唄ってくれている。これを奇跡と呼ばずに、いったい何と言おう。 昨日の〈Next Sunday〉、ひなゆきさんはすらりと背の高い、ほっそりとした美しい女性で、赤いドレスを着てギターを弾き、そしてピアノに向かい唄っていた。バックにはコントラバスとアコースティック・ギターにハーモニカ、そしてエレキのスライドギターという編成。MCで「詩を書いていた時期も長かった」と語られて、特に矢野誠さんとコラボレーションしたという、「綾鼓」というポエムリーディングに近い曲が印象的だった。音楽を聴いていて映像が浮かぶような、かつて70年代、アートシアター新宿文化辺りでATG映画を観ていた、その瞬間にタイムスリップするような、そんな気がした。そして、ひなゆきさんが高円寺の〈グッドマン〉で唄ったという「待ってろよ、待ってろよ」のYouTube動画も教えて頂いた。 僕は「金子さんのこと、菊地さんのこと」の最後に、松田優作さんの『ブラックレイン』をも含めて、「人は死んでも映画は残る。それだけが唯一の救いだけれど、同時に希望でもある」と書いた。金子正次は『竜二』が未だ語り継がれ、最近でも松本人志や千原ジュニアが「好きな映画」と発言している。先に挙げた生江有二氏の名著もあり、それを元に高橋克典主演で『竜二Forever』という映画も作られた。それに比べ菊地健二は、俳優としての魅力も歌い手としての才能も輝かせることが出来ぬまま、無名の存在として死んだ。けれど、希望はここにもあったのだ。菊地健二はその才能とは裏腹に、報われぬまま死んだかもしれないが、彼の唄はしっかりと生きていた。そしてこれからも、生き続けていくと思う。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-30 12:57
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夜、ある方の演奏を聴きに行く。収入の目途が付かず、時間的余裕もない今、飲み会のたぐいはすべてお断りし、ミュージシャンの友人からのライヴのお誘いも全部、「申し訳ない」とスルーさせて貰っているのだが、今夜だけはどうしても観ておきたかった。阿佐ヶ谷にある〈Next Sunday〉というライヴハウス。iPhoneというのはこういう時とても便利だ。メールで案内を貰うと、住所のところだけ文字色が変わっている。そこをタップすると、Google Mapが自動的に立ち上がってピンをドロップしてくれる。必要があれば自分の現在位置まで示してくれる。後はそれに従って歩いていくだけ。
今日も阿佐ヶ谷の駅を出たところでそうした。初めて行くライヴハウスだと思いこんでいたからだ。それが違った。記憶というのは不思議だ。何故まったく忘れていたのだろう、南口からロータリーを渡り、「そうか、〈阿佐ヶ谷ロフトA〉は脇の商店街のアーケードを通るのだけど、今日のお店は中杉通り沿いにあるんだな」なんて思いつつ、数分歩いたところで突然気づいた。どうして少しも思い出すことがなかったのか? 此処には一度来たことがある。やはり、あの時の俺は相当混乱していたのだ。 2006年の6月だから、もう5年も前になるのか。丹波篠山に住む昔の音楽仲間、亮介から突然奇妙なメールが来た。短いもので、「Kの病気のことは、俺は大丈夫やと信じてるから」とあった。病気? 病気って何だ? Kはやはり学生時代からの友人。親友といっていい。亮介は別のバンドだったが、Kと僕は同じグループを組んでいた。そう言えばここ半年以上は会ってない。けれどひと月ほど前携帯に着信履歴があった。忙しかったこともあり、「またかけてくるだろう」と、返信もしなかった。すると今度は神戸に住むギター弾きのJTから電話があった。 「Kが肺ガンで入院したって聞いたけど、大丈夫なのか?」と言った。彼は10代の頃に母親をガンで亡くしていることもあり、心配で気が気でなく、電話をかけてきたのだと言った。そこでやっと思い出した。1週間ほど前、Kの妻、Cから家電の方に留守電が入っていたのだ。「ちょっと伝えておくことがあって電話したんだけど、また改めてかけますね」と言っていた。いつも通りの声だったから気にも止めていなかった。しかし、あれが入院するという報告だったのだ。どうしよう、Cの携帯も、Kの自宅の電話番号も知らない。本人は入院しているのだから、彼の携帯は繋がらないだろう。今になってみれば、家電にはCの履歴が入っていたはずなのだが、それにも気づかないほどに混乱していたのだと思う。 やはり昔の仲間で、Kと共にバンドをやっていた阪本正義という男がいて、彼は今でも定期的に都内のライヴハウスで唄っている。確かその夜も偶然ライヴがあると、彼のブログで知っていた。阪本はKと家も近所だし、入院のことは当然聞いているだろう。もちろん携帯番号は知っているから、すぐにかけてみれば良いのだけれど、何故か妙なことばかり考えた。ちょうど今頃はリハーサル中だろうとか、ライヴハウスというのは地下にある所が多いから、繋がりにくいだろう、とか。とにかく行ってみよう、そう思って出かけたのが、阿佐ヶ谷の〈Next Sunday〉だった。遅れて入ってみると、満席で立ち見が出るほどの盛況の中、阪本は普段通りに唄っていた。6月の蒸し暑い夜だった。今思い出しても、夢の中の出来事のような気がする──今夜のライヴのこと、何故出かけていったかは、明日の日記で改めて書きます。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-30 11:17
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相変わらず日々のシアワセは、夜の仕事終わりの15分、朝ドラ『カーネーション』です。昨夜やっと木曜日オンエアぶんを観た。財前直見演じるミシンの先生・根岸良子に、お父さん(小林薫)が頼み込んで、逆にお父さんから謡を教わる条件で、糸ちゃん(尾野真千子)は洋裁を教えてもらえるようになった。ラストシーンはその根岸先生が小原家にやって来るところだったが、いやはやその出で立ちの格好良いこと、この時代の職業婦人というのは、本当にお洒落だったんだなあと思う。いや、女性だけでなく洋装だけでもなく、歌舞伎役者・中村春太郎(小泉孝太郎)の三揃えは勿論のこと、例えば電気屋のおっちゃん(甲本雅裕)のサスペンダー付きズボンにハンチング、お父さんの和服にカンカン帽、泰蔵兄ちゃん(須賀貴匡)大工の仕事着に至るまで、すべてが徹底的にスタイリッシュである。
NHKだから時代考証が徹底しているのか、あるいは今風にアレンジがされているのかは判らないし、そして当然、財前直見や、小林薫や甲本雅裕と言ったスタイルの良い役者さん(甲本雅裕はあの甲本ヒロトの弟さんだから、お兄さんにも似て手足が長くてカッコイイ)が演じているからなのだが、それにしても、こういうお洒落な服装を見ていると、ただ「安くてリーズナブルだから」という理由で、上から下までユニクロで統一してる自分がヤになりますね(涙)。そして今夜観た、金曜放映分では、根岸先生が糸ちゃんに「胸を張って、誇りを持って洋服を着なさい」と伝える場面があった。そう、服飾とはお洒落とは、その人の生き方そのものなのだという哲学が、このドラマには貫かれている。 そう言えば栗山千明演じる奈津の女学生時代、その袴姿も美しかった。つまり女性の生き方が服装によって変わっていく、それは古いものがだめで新しいものが良いとかそういう意味ではなく、服飾というものに込められた人々の意思、哲学、そして文化なのだ。作者が強く訴えたいのはそれなんだと思う。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-29 12:49
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夜、所用があり駅まで出かけその帰り道、通りを歩いていると、本屋さんだったお店が、何か業務用器機の販売店のようなものに変わっているのに気づいた。そこは法政大学の工学部や理工学部が近くにあるので、この不況でも潰れることはないだろうと思っていたのだが。僕自身、本の8割方をAmazon.co.jpで買っている身で言うのは勝手な話だが、やはり淋しい。人は書店に何を求めるのだろう。個人的にはこうして夜の道を一人歩く時、深夜だからもう店は閉まっているのだが、常夜灯に照らされた新刊本の平台が、ひっそりとウインドウ越しに見えるだけで何となくホッとした。
こう忙しいと、特に本屋さんに行きたくなる。古本屋さんとは違う、かすかなインクの匂いなのだろうか、あの空気に包まれて、特に何を買うわけではないのだが、数十分ぼんやりしたいと思う。片岡 義男さんに『ブックストアで待ちあわせ』というエッセイがあるけれど、昔よく女の子と渋谷の紀伊国屋で待ち合わせをした。「じゃあ文庫の早川書房の棚の辺りにいるわね」なんて、彼女はよく言っていた。それにしてもこの片岡さんの書籍、鈴木英人さんの装画がいいなあ。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-28 15:58
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昨日の朝、寝室の窓に結露がついているのに気づいた。それは窓を開け放してしばらく空気を入れ換えると乾燥して消えてしまう程度だったのだが、今朝はもうタオルで拭き取る必要があった。いよいよ、冬の足音が聞こえて来た──といったところでしょうか。震災以降、我々東京に暮らしている人間、つまりさしたる被害は被らなかったのだが、東京電力管内に住んでいたばっかりに色々と面倒を味わった者達は、この夏、「うん、電気代って節約しようとすればけっこう出来るんだな」と感じたのではないでしょうか。僕なんかもそう。例えば少し前の日記で安い便座カバーを買ったと書いたけれど、たった630円であの快適ではあるが、如何にも無駄な暖房便座というものを使わなくて済む。
個人的には相変わらず収入が望めないため、今年は電気代との闘いの冬になる、と覚悟しております。と思っていたら気になる記事→〈スチーム式加湿器の電気代は冷蔵庫並み〉というものを見つけてしまった。僕の場合鼻と喉があまり強い方じゃないので、冬は寒さと同時に乾燥も問題となる。そしてやはり、ペットボトル式の安いスチーム加湿器をココ2年ほど愛用しているのであります。そうか、消費電力、けっこうかかるんですね。10時間使って72円というのはけっこうなお値段だ。しかし、電気代の安い気化式は、結果的に加湿効果は低いとのこと。結局のところ、洗濯物を部屋干しするとか、寝る前の数時間ピンポイントで加湿するとか、色々工夫するしかないのかな。ところで、鼻と喉の弱さ改善には断然「鼻うがい」が効くと思っているのですが、それについてはまたいずれ。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-27 10:25
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朝いちばんでジムへ。昨日に続き、風は北から吹いているが、陽射しは暖かい。坂本龍一『Beauty』所収の、「安里屋ユンタ」を聴きながら歩く。この古い八重山民謡を初めて聴いたのは、僕らヤマトンチュの70年代の子供は、細野晴臣1978年のアルバム『はらいそ』だという人が多いのではないだろうか。歌詞、メロディは同じながら、印象はかなり違う。細野さんはポップスからマーティン・デニーのエキゾチック・ミュージックを経由し、久保田真琴が喜納昌吉の「ハイサイおじさん」をカバーしたこと等もあり、この曲に辿り着いたのだろうし、逆に教授は現代音楽経由、民族音楽研究から──と言った理屈は付けられるのだけど、聴いていると何かもっと、二人の根本的な音楽性の違いという気もする。
そう言った決定的に「違う」二人が出会い、さらに幸宏さんという圧倒的な個性が融合したわけだから、やはりYMOというのはとてつもないグループだったのだなあと、つくづくと思う。ちなみに『はらいそ』には教授も幸宏さんも参加していて、それがYMO結成のきっかけになったというのは有名な話。それはともかく──僕は恥ずかしながら未だ沖縄に一度も行ったことがない。昔々、『ボディプレス』というヌードグラビア誌を作っていたことがあった。25才から27才にかけての頃だ。エロ本らしからぬケッタイなものだということで、案外評判になった。けれど、2年作ってみて「もうやるべきことはすべてやったから」とやめてしまった。 こういうことは、常識的にはありえない。雑誌というのはある程度売れていれば続けるものだ。「やめたいんですけど」と言った部下に、ひと言「うん、いいよ」と返した僕のボス、中沢慎一(現・コアマガジン代表取締役)という人もすごかったとは思うけれど、そういうのはあまり世間の人は理解してくれない。なので「どうしてやめるんですか?」と次々訊かれ、面倒なので「郷里の沖縄に帰って実家のジャズ喫茶を継ぐことになりました」とバカバカしい嘘をついていた。若気の至りというか、皆さんすみませんでした。沖縄には「平良さん」とか「高良さん」という名前が多く、「トーラさんも沖縄出身ですか」とよく言われていたからだ。だから勝手に、沖縄は自分の故郷という気がしている。 なので、一度は訪ねてみたいと思っているのだけれど、1年365日、まともに1日も休めず、スーパーで1袋135円のピーマンを買おうか買うまいか沈思熟考しているような状態ではとても無理であります。けれど今年の夏、実は〈men's now〉でやらせてもらってる「店舗探訪」という連載で、沖縄北谷にある「東京書店北谷店」というところに取材に行かせてもらえそうになった。残念ながら実現はしなかったのだけど、まあ、いつかと期待してます。ところでWikipediaによると「安里屋ユンタ」は、「琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマと、王府より八重山に派遣され彼女に一目惚れした目差主(下級役人)のやり取りを面白おかしく描いた」内容とのこと。各コーラスの最後「マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」は、「また逢いましょう、美しき人よ」という意味だそうです。ああ、いい歌だなあ。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-26 11:19
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東京は日中、初夏のような暖かさだった。26度あったという。しかしこれを書いている現在、夜の11時過ぎ、外では冷たい北風が吹いている。いわゆる木枯らし1号らしい。今日はAmazon.co.jpで注文しておいた便座カバーが届いたので付けてみた。安物だが、さすがに新品はふかふかである。630円で買えるシアワセ(笑)。これでまた、トイレに座って本や雑誌をパラパラやるのが楽しくなった。何気なく去年の今頃は何をしていたんだっけ? とiPhoto(Macの写真加工・整理ソフト)を見ていて、そうか、『代々木忠 虚実皮膜〜AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)の企画に動いていたんだ、と思い出した。
石岡正人監督のドキュメンタリー映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』の公開に合わせることが出来ればという条件付きで、版元さんからのGOが出たのが10月の半ば。そして代々木監督ご本人へのインタビューのお願いのため、編集Tくん、キネ旬のSさんと共に、渋谷にあるアテナ映像へと出向いたのが10月19日。以前より面識のあった同社ゼネラルマネージャーO氏は、「良かったですね、企画が通って」と笑顔でおっしゃってくれたのだが、こちらの予定を伝えた瞬間、表情が曇った。僕らは最低でも2日、長時間の取材がしたかった。けれど、監督の年末までのスケジュールが立て込み過ぎていた。やはり誰もが考えることは同じで、石岡監督の映画に合わせ、既に2冊の単行本が進んでいたのだ。 ![]() そもそも企画が出版社を通るのに半年以上かかっている。それが映画とタイアップ出来るという条件でやっとOKが出たのだ。このタイミングを逃したら、自分には代々木忠という稀代の才能について一冊の本を書く機会を永遠に失うだろう、そう思った。しかしまさに急転直下、数日後にOKが出た。しかも取材は3日間取ってもらえるという。すべて、代々木監督が愛弟子とも言える石岡さんの映画を応援したい、我々の作る本はその本の後押しになるはずだという配慮からだった。元々、僕は自分が運のいい男だと思っている。仕事がなくて、さあ生活費をどうしようと思っていると、不思議なことに依頼が舞い込む。けれど、あの時ほど強運を感じたことはない。しかし考えてみれば今も変わらない。ひとつの書き下ろしが終わり、次の企画は一切決まっていない。そろそろ年末が見えてきた。無事年が越せるのだろうか? 綱渡りのような人生だが、まあ何とかなるか、と思ったりしている。 ※写真はその昨年10月19日。渋谷駅東口、明治通りを跨ぐ歩道橋の上から、渋谷川を写す。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-25 09:55
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6時起床。先週の疲れがまだ取れいないような気がするので、jogは自粛して早朝より原稿書き。昨日ジムに行ったら、トレーニング・フロアのマガジンラックに『オレンジページ』の最新号があった。特集は「ひき肉おかず」。ひき肉って本当に安くて助かる。特に僕のいつも行くスーパーいなげやは、陽が暮れてからはそれがさらに半額に値引きされる。ただし、ひき肉料理ってハンバーグに代表されるように、意外と作るのがメンドくさいんだよね。ピーマンの肉詰めとかさ。子供は作って作ってって言うけど、お母さんだって忙しいのよ(←って、オレはお母さんじゃないし子供もいないが)。
そこで『オレンジページ』は牛乳や玉葱と一緒に、それを手でこねるのではなく、スプーンで混ぜる「ゆるゆるだね」というのを提唱していたが、僕はずいぶん前から牛乳を飲むという習慣をやめているので、我が家の冷蔵庫には無い。なんて思っていたんだけど、少し前テレビを点けて音声だけ聴きながら台所の洗い物をしていたら、「辛ミンチが」「この辛ミンチが美味しいんですよー」という声が聞こえてきた。どうやらいわゆる「ラーメン屋さん特集」で、ひき肉を甘辛く煮たものをトッピングしているのだと判った。それを思い出した。フム、簡単に出来そうだし、作り置きも出来る。幸い冷凍してあるブタ挽きが200gくらいあるし、本日仕事が終わってからやってみました。 ネットで検索してみると→レシピもあった。想像通り実に簡単。醤油に甜麺醤、豆板醤、味醂を混ぜ、生姜と大蒜のすり下ろしを加えたタレを作り、それを炒めたひき肉と一緒に熱を加え煮詰めるだけ。それだけ。これねー、仕事が終わり、やれやれと発泡酒など飲みつつ、アタマを空っぽにし、な〜んにも考えずに作っていると楽しい。ミルクパンでコトコトと、時々スプーンでかき回しながら煮る。火が通るごとに生姜と大蒜の、尖った味がまろやかになり、柔らかく甘く、優しい味になっていく。味見をするごとに、一日の疲れがすーっと消えていくような気がする。明日は葱と大蒜と玉子だけを使ったシンプルな炒飯を作り、こいつを乗せて昼食にするつもり。うふうふ、楽しみだなあ。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-24 09:55
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7時起床。午前中にジム。戻ってからは、今日も一日原稿書き。リビアでカダフィが殺され、昨日までは死体の映像しか公表されてなかったのが、今日になって死ぬ直前と思われるものが日本のテレビでも流された。字幕によれば、「こんなことが許されるのか」と訴えていたそうだ。胸の辺りは血だらけで、泣きじゃくっているようにも見えた。1942年生まれというから69才。老人という雰囲気はないが、それでももう決して若くはない。正直、よくわからない。そういう力の弱った年老いた男を、裁判にかけることなく惨殺するということに、何か意味はあるのだろうか。それとも嬲り殺したいほどに怒りが大きいということか。やはりわからない。ただひたすら気持ちが暗くなるだけだ。
こういうことを書くと大抵、それはお前が平和ボケしてるだけだと言われる。「ボケるほど平和で何が悪い?」と言い返すと、「君の享受している平和は、中東の人達の悲しみのもとに成り立っているんだよ」と言ったヤツがいた。大学時代、ひとつ学年が上の革マルだった。そいつはちょっと内股でオカマっぽいので、僕はひそかにカママルと呼んでいた。カママルは講義には一切出ず、毎春授業の履修だけして、後は一年中革命に専念しているようだった。そして数年後、そのような働きが認められ、当時の国鉄の労組か何かにスカウトされ就職していったと聞いた。噂だから本当のところはわからない。ただ、カママルは今何をしているのだろう? と考えると、やはりろくな死に方はしていないような気がする。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-23 11:45
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本日も日がな一日原稿書き。夜の10時過ぎまで。お風呂に入り、11時よりNHK・Eテレ『スコラ/音楽の学校 坂本龍一』を観る。何故珍しくリアルタイムかというと、裏で『IPPON グランプリ』をHDD録画していたからです。ともあれ、この番組も毎週楽しみです。高校生相手にワークショップをしながら、作曲や音楽の神髄を学んでいくという内容。ピアノを弾きながら解説していく教授もカッコいいのだが、浅田彰さんに音楽学者の岡田暁生氏、詩人で文化批評家の小沼純一氏による歴史的背景の説明が、いつも圧倒的に面白い。高校生達が毎回眼を輝かせて聞いている。こういう先生達に教えてもらったら、勉強面白いだろうなー、と思う。
今回のテーマは「ベートーヴェン 対立し和解する音楽」だったが、小沼先生による「肖像画を見れば判るけれど、ハイドンやモーツアルトは当時の風習であった綺麗にカールした髪のかつらを被ってのに対し、ベートーヴェンはそれを嫌がり、あの振り乱した髪で描かれた。それが彼の闘争への意思なんです」というようなお話。岡田先生からは「あのハイドンでも食事は召使い達と一緒にとったそうだが、ベートーヴェンは貴族の婦人から『食事中演奏してください』と言われても、気が向かなければ断固拒否した」というようなエピソードが語られ、「うむむ、そうなのか、そうだったのか!」とテレビの前で深く頷いてしまうんである。 特に、音楽には〈解決する〉という用語がある。不安定な和音から安定した響きに落ち着くことだそうだが、浅田彰さんによれば、ベートーヴェンの交響曲は主題がすべて単純なのだけど、不安定と解決を繰り返すので、強烈なパワーで前へ前へと進んでいく。それが長い楽曲を人々に飽きさせずスリリングに聴かせているのだとのこと。まさに「音楽とは時間の芸術」。しかし──浅田彰という人は経済学者でありながら、ご存じ『構造と力』で知られるように、フランス現代思想の第一人者。尚かつ同時に、文芸評論の分野でもすごい仕事をする人だ。つまり、上記の発言なんかはまんま長編小説にも当てはまるわけで、うーん、モノカキの端くれとして本当に勉強になります。来週は「ドビュッシー、サティ、ラヴェル編〜第1回・民族音楽との出会い」だとか。楽しみだなあ。 ▲
by tohramiki
| 2011-10-22 09:52
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