![]() by tohramiki カテゴリ
以前の記事
2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 検索
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
やはり4時に眼が覚める。ストレッチを念入りにやって身体を起こし、シットアップを終えてもまだ外は暗い。iMacに向かい、少しだけ仕事を進め、夜明けを待ってjogに出る。6時15分。すっかり朝にはなっているが、太陽はまだ昇らない。地面に陽射しが当たり始めるのは7時10分前くらい。今日は今期初めて手袋をして走った。100円ショップで買ったカラー軍手。僕は真冬でも外出する時はかなりの薄着で、人から「それで寒くないんですか?」と言われたりもするのだが、そのぶん手足の冷たさに弱い。だから毎年「今年こそはしっかりした防寒暴風の手袋を買おう」と思いつつ、安い軍手で済ましている。
Amazon.co.jp に「ゴールドウイン・防風透湿・ウインドブロック インナーグローブ」というのがあって、インナーだから本来は登山用とかで、この上にゴアテックスの手袋をさらにするのだろうが、ジョギングに使うなら良いのかなと思いつつ、やはり実物を見ない限りは・・・と迷っている。ところで、あれは何ていう題名なんだろうか、子ギツネが手袋を買いに行く童話ありますよね。知りませんか? こんなお話。とある山深く、キツネの母子が住んでいる。確かお父さんキツネはいなかったと思う。冬でしんしんと雪が降り積もり、子ギツネの小さな手はあかぎれだらけになってしまう。 子ギツネが「お母さん、おててが冷たいよう」と訴えると、母キツネは「それでは里に下りて手袋を買っていらっしゃい」と言う。でもキツネが人間のお店にいくわけにはいかないから、魔法で子ギツネの手、その片方だけを人間の手に変えてしまう。要するにキツネが人を化かすわけだ。このお話、本当に好きなんですよね。確か村上春樹さんも短編の中で引用していたと思う。それもまたどの小説集に入っていたのか、タイトルも内容も忘れてしまったのだが、「ああ、春樹さんもきっとこの話が好きなんだなあ」と、ファンとしては嬉しくなった。 で、子ギツネは片方だけ人間の手で、ひとり(一匹?)山を降り、人里へと向かう。初めてのお使いである。里に着くともう夜は更けているから、手袋を売る店は閉まっている。そこでトントンと扉を叩く。「はい、何のご用?」と中から店の人間の声がする。ココが好きなんですね。子ギツネは言う、「手袋くださいな」。何とも可愛いじゃないですか? そしてお母さんの言いつけ通り、お店のおじさんに少しだけ、キツネだと悟られないようほんの少しだけ戸を開けて貰って、そこに魔法で変えて貰った方の、人間の手を差し入れるのである。「この手に合う、手袋くださいな」。 その後どうなるんだっけ? おそらく無事に手袋を買うことが出来て、子ギツネは山へと帰り、お母さんキツネに「よくお使いが出来ましたね」と誉められ、アタマを撫でられ抱っこされて、暖かい手で幸せに眠る。めでたしめでたし、となるのだろう。でも、僕が良く憶えているのは手袋を買うシーンだけだ。子供の頃読んだ絵本には、挿絵があったはずだ。雪の降り積む店の軒先に、小さなキツネが立っている。戸がわずかに開いて、そこから灯りが洩れている。一筋の光になって、雪の上を細く照らしている。子ギツネの声がする、「手袋くださいな」。雪はしんしんと降っている。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-30 07:04
|
Trackback
本日は昨日、一昨日より少し遅く、5時10分前に起きる。お風呂に入り、仕事の資料用の本を読む。ミルチャ・エリアーデ著『永遠回帰の神話〜祖型と反復』(未来社)。エリアーデはルーマニアはブカレスト出身の宗教学者。幻想小説を書く作家としても知られている。1930年代カルカッタでサンスクリット語とインド哲学を研究し、戦後はルーマニアが共産圏に併合されたこともあり主にパリで活動。晩年はアメリカに渡りシカゴ大学の神学部宗教史科主任教授として過ごした。
僕はこの本を大学生の時、宗教学のテキストとして読んだ、と書くとカッコイイが、まあ自分でも呆れるほどな〜んにも勉強しない学生であり、これも確かテストかレポートを提出するために、無理矢理買った。言わば「一夜漬け用」であります。けれどどういうワケがアタマに引っかかる所があり、その後も何度か読み返した。今手元にあるものは「1993年2月20日・第17刷発行」とあるから、おそらく30才を越した時、もう一度読みたいと思い買い直したのだろう。何が僕をそんなに惹きつけたのか? それは今考えても良く判らない。しかし、第一章の最初の方に以下のような文章がある。 「事象とか行為とかは、一つの様式、また他の様式によって、それらを超越する存在とかかわりあうゆえに価値を獲得し、そのことによって真実なるものになる」。エリアーデは此処で主に古代人の世界認識のことを言っているのだけれど、それは普遍的な人間の有り様だと僕は思っている。例えば我々は「机」を見た時に、100%自律的に「これは机です」と認識することは出来ない。人によっては踏み台に見えるかもしれないし、大きいものならベッド代わりに使って寝転びたいと思う人もいるだろう。はたまた単なる木材の寄せ集めとしか感じられない人も、いておかしくはない。 つまり我々をして「机」を「机」たらしめているのは、「これを机として使いましょう」という取り決めではないか? 言わば共同幻想である。「お金」なんてのは、その最たる例ですね。単なる紙切れやら銅やアルミの円盤で何故物が買えるのか。それはある特定(国や地域)の人達が「これはお金として使いましょう」という認識の元に取り決めたに過ぎない。エリアーデの言う「それらを超越する存在」というのは例えば神様のような存在だろうけれど、古代に於いて地上に無数に転がる「石」の中に「聖なる石」が生まれたのは、人間が自分を超えた存在を仮定して、「神託によってこれを聖なる石とする」という風に決定したわけだ。 本書・第一章「祖型と反復」には、〈地域・寺院・都市の天空的祖型〉とか〈宇宙創造の反復〉という項があって、古代の人々は街やお寺を造る際、夜空を眺めそれをお手本に作っていたのだ──というようなコトが書いてある。だからコスモスとは「宇宙」を意味し、カオスは「混沌」を指す。つまり地上にあるすべての混沌は、宇宙を見習って整理整頓されていったということになる。それは後に読んだアンドリュー・ワイル+ウィニフレッド・ローゼン著『チョコレートからヘロインまで〜ドラッグカルチャーのすべて』にある、外的世界に存在するドラッグの幾つかは、実はすべて人間の脳内で発生する物質と同じ分子構造をしているなんて部分と妙に符合して、「う〜ん、なるほどなあ!」なんて思ってしまったのだ。 こう書いていくと、つまり人間の脳とはもうひとつの宇宙なんだよという見方も出来るかもしれないが、僕はちょっと違う気がする。それよりも僕らは、「超越する存在」と何らかの形で繋がりたいのではないか? それを宗教者は「神」と言い、チャネラーは「宇宙生命体」と言ったりするわけだが、呼び方はどうあれ、我々はそのような存在と「繋がる」という確かな予感を持っている。何故なら脳の中にその「祖型」を持っているからだ。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-29 09:40
|
Trackback
4時に眼が覚める習慣が定着して来た。昨夜寝たのはやはり1時過ぎ。かなり眠いが、どうせヒルネするんだしと起き出し暗いうちから書き下ろしの原稿にかかる。此処数日良く晴れて、洗濯物が良く乾く。こう追い込まれて外へ一歩も出られない状態が続くと、ベランダに出て干す時間が楽しい。気分転換になる。お隣は造園業者さんの畑で、物干しの眼の前には作業小屋がある。以前にも書いたが、ネコのミケがそこをねぐらにしていて、11月21日の日記にアップしたように、今日のような暖かい午後には陽の当たるトタン屋根の上でヒルネしている。
![]() ![]() ※上が11月27日撮影のムー。下が本日、仲の良い二人(二匹)。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-28 09:05
|
Trackback
今朝も暗い部屋で目覚める。昨夜寝たのが深夜1時だったから、5時過ぎくらいだろうと起き上がってリビングへ行くと、まだ4時だった。少し迷ったけれど、頭はすっきりしていたし、今日は絶対に走りたかったのでそのまま活動を開始することにした。まず最初にiMacに向かい、twitterに「今起きました」みたいなことをつぶやいてみる。何故突然そんなことをやったかというと理由がありました。先週の金曜日、正午を前後して突然、携帯に5、6通立て続けにメールが入った。見てみるとすべて文面は同じで、「──がtwitterであなた(@tohramiki)をフォローし始めました。」とある。
えっ、何ンで? と少し考えて合点がいった。その日の午前中、正確には10時56分にアップした11月18日の日記に、「Twitter等にも情報を走らせたりした方が良いのだろうが」と書いたのだった。それで何人かの方が検索してくださったのだろう。Twitterは確か半年くらい前、何か必要があって(何の必要だったのか忘れた、涙)登録だけしたのだけれど、使い方がよく判らず、挫折していたのでありました。もうパスワードも忘れている。しかしその後もぽつりぽつりとフォローのメールが入って来る。そこで慌ててもう一度パスワードを取り直したのでした。 折しも、というか気がつかなかっただけか、この日記にも「リツイートボタン」というものが付けられるようになった。そんなワケて、本日は「ちょっと練習」と思い、一日に何度か呟いてみた。やってみた感想としては、やはりtwitterはリアルタイムで情報が広がっていくだけあってレスポンスが圧倒的に早い。それと、ブログの「トラックバック」というものが、おそらく語意を自動的に検索して付けられるのだろう、怪しげなサイトとリンクするばかりになってしまい、意味が無くなってしまった。その点twitterやfacebookは、仕事で使っている人も多いようだけど、あくまで個人の判断を通しているので繋がりに人間味がある。というワケで今後も時々つぶやいていくと思いますので、フォローして頂いている方々、どうぞよろしくお願いいたします。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-27 06:49
|
Trackback
5時20分から5時半の間に眼が覚めるようになって来た。先週から書き下ろしが始まって、テンションが上がり始めたようだ。早朝より仕事開始。ただ、体力の消耗だけはいかんともしがたく、午前11時を前にするともうどうしようもなく眠くなってしまう。その睡魔というのが何とも極端で、立っているのすら困難というか、フラフラになる。この尋常でない眠さ、前にも経験したよなあと考えてたら気がついた。飛行機の乗った後の時差ボケである。特に、ハワイに行ったこのある人って覚えがありませんか?
ホノルル行きの便って、何故か成田を夜出発するものが多い。だいたい午後7時から9時前くらいだったろうか。そして向こうには早朝に着く。早い時は夜明け前。大抵のホテルはチェックインが午後からだから、ツアーの場合なんかはその眠い中、ダウンタウンやカメハメハ大王像とかを観光で引っ張り回されるから、みんなグッタリとすると聞く(涙)。ただ、僕の経験から言うと、早朝のそんな時間でもコンドミニアムやホテルのカウンターへ行けば問題なくチェック・インさせてくれる。そんでもって朝っぱらからバドワイザーなんぞ飲んで、部屋のソファーでヒルネするわけです。これがシアワセ。 ![]() ※写真は1995年12月撮影。帰りの便は大抵往きよりもさらに早く、6時頃のフライトだった。1時間前にはチェックインしなければならないので、当然バスはまだ走っていない。フロントでタクシーを呼んでもらい、まだ暗いワイキキの街を抜けて向かった。そんな時刻、人気の無いホノルル空港の風景。data:ニコンFA、ニッコール24mmf2.0、フィルム・フジクローム PROVIA ISO400を800に増感。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-26 09:24
|
Trackback
5時半に起き、ひたすら原稿書き。本日11月25日は、親友Kの命日だった。2年前の今日の日記に、彼のことは書いてある。現在、夜の11時。本日の仕事は終了。この後、黒糖焼酎れんとで献杯するつもり。僕は基本的に、酒の味が判る男ではない。「酔えれば良い」という、ポリシーの無い酔っ払いである。だからこの、奄美大島産の美味なる焼酎の存在を知らなかった。初めて飲んだのは、この日記とは別に、個人的につけているメモによれば08年11月12日。僕の誕生日前夜になる。
肺ガンが脳と脊髄に転移し、もう処置のしようが無いとの判断の元、Kが自宅に戻ったのが同年10月。その時はベッドから起き上がり、テーブルについて共に食事をとれたのだが、11月に入るとそれも無理になった。12日は彼の高校時代からの親友Y氏と共に訪ねた。僕らはKのベッドの脇に椅子とテーブルを出して貰って座り、二十歳になったばかりの娘がグラスに酒を注いでくれた。「乾杯」と杯を上げると、介護ベッドにもたれ、もうほとんど話すことの出来なかったKは、微かな声で「れんと」と僕に言った。 そして何か言いたそうに僕とY氏を見た。たぶん、「美味いぞ、飲めよ」と言いたかったのだろう。れんとはKが好んで飲んだ焼酎だった。彼が亡くなって以来、僕は上記にリンクした中江商店から取り寄せて飲んでいる。しみじみ美味いと思う。そして、時々口に出して言ってみる。「美味いなあ」と。自分が生きているということを噛みしめる。Kが死んで、僕は生き残った。生き残ることを与えられたのだ。だから、生きていることを徹底的に味わおうと思う。自分が生きているという事実を大切にしたい。これから先もずっと、れんとを飲むたびにそれを確認するだろう。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-25 08:18
|
Trackback
終日仕事。韓国大延坪島への砲撃では、民間人2人の死亡が新たに報道され、子供達の通う学校にまで攻撃が加えられたことまで判って来た。昨日の日記で、我々は何を考え何をすべきか──と書いた。今考えなければならないことのひとつとして、「人間は人間を殺して良いのか?」という問題があると思う。「人間は、どんなことがあっても人間を殺してはいけない」ということになれば、答えは簡単だ。たとえ戦争が始まって自分が殺されそうになったら、ただ黙って死んでいけば良い。愛する家族、友人、幼い子供が眼の前で惨殺されたとしても、「それは仕方のないことなのだ」と思って諦めれば済む。
誤解して欲しくないのだが、そういう考え方を批判しているわけではない。例えば僕自身もアメリカ国内のように、銃を持って自分を守るという考え方にはやはり抵抗がある。善悪の問題ではなく、日常的に拳銃を持っているという状態が、平和であるとは思えないのだ。それなら、もしも銃を持った強盗が我が家に押し入って来たとしても、撃たれて死んだ方がマシかなと思う。けれど判らない。それは暴力団とか、一部の人間しか拳銃を持つことがありえない、平和な日本に暮らしているからそう感じるだけかもしれない。「平和ボケだ」と言われたら、「そうかなあ」と答えるしかない。ボケるほど平和に暮らせるのは、幸せなことだ。文句あっか? ただ、「時と場合によって、人間は人間を殺して良いのかもしれない?」、そう考えてみることは決して悪いことじゃないと思う。もちろん人が人を殺すなんてあって欲しくないし、出来れば無いに越したことはないわけだけれど、考えるだけなら誰にも非難されないはずだ。このテーゼは、僕のオリジナルではない。僕が大尊敬する社会学者・橋爪大三郎さんが著書に書かれていた。その本が例によって我が家のトイレ書斎(笑)の何処かにあるはずなのだが見当たらなくて、忙しいこともあって探すヒマがない。なので今は具体的な書名が判らず、うろ覚えでなので、以下は僕なりの解釈に基づいた考え方になる。 時と場合によって人間は人間を殺して良いのかもしれない──そう考えると、色んなことが浮き彫りになって来る。最近問題になっている裁判員制度とか、死刑廃止論とか、安楽死とか、テロとか戦争とか、領土問題とか。まずはテロと戦争、いったいどっちが悪なのかということを問題にしてみる。テロの方が悪ということなになれば、国として戦争をしかけ、テロリストを殺しても良いということになる。9.11以降のアメリカはこういう結論を出したのだと思う。まあ、フセインがテロリストだったかどうかには異論があると思うが。 となると、テロは悪いが戦争は悪くないということになる。何故テロが悪くて戦争は良いかと言うと、テロは不意打ちであり騙し討ちであり、時に闇討ちだからだ。それに比べ戦争には「宣戦布告」というものがある。正々堂々としてる(ホントか?!)。「これから攻撃するよ」「空爆するよ」「殺すよ」、「だからソッチはどうするの?」というわけだ。それは別にテロへの報復に限らない。例えばひとつの領土を巡って二つの国が対立していた場合、それは竹島でも尖閣でも北方領土でも良いのだが、「じゃあこの際だからお互い正々堂々と武力で戦って、勝った方が領土にしようぜ」という考え方もあり得るわけだ。 国家にとってそういう選択肢もあるんだと、閣僚とか国会議員とか官僚だけでなく、一般の国民が考えてみること──それには意味があると思う。領土を巡って日本が他国と戦争になる。そうなると誰かが死ぬ。それは自分の夫かもしれないし父親かもしれないし、息子かもしれない。友人かもしれないし兄弟なのかもしれない。それが良いのか悪いのか、嫌なのか受け入れるのか? 嫌だと思った時人間は初めて、必死になって別の選択肢を探すんだと思う。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-24 09:55
|
Trackback
午後遅く、iMacに向かって原稿書きをしていて、小休止してmixiにアクセスすると、ボイス(mixi版のつぶやき、twitterと連携させている人も多い)に、「北朝鮮、韓国西部の島に砲撃。韓国軍も応戦。住宅炎上、兵士4人重軽傷。(NHK)」という引用文の書き込みがあった。えっ、何? 近未来小説の惹句か何か、と一瞬思うが、良く見ると書いているのは古くからの知り合いのミュージャンで、その手のジョークを載せるようなタイプの人ではない。慌ててTVをつける。偶然にもテレ朝夕方のニュース番組『スーパーJチャンネル』が今日に限って4時30分開始で、韓国の番組が放映してるものをライヴで流している。本当だ。戦争だ。
夜のニュースでは韓国軍担当者の会見が写され、「明らかに計画的で意図的な攻撃」としていた。要するに北朝鮮は、「出来るんだぜ」「いつでもやってやるぜ」と言っているのだ。当然他人事じゃない。二人の兵士が死んだ。ノドンは日本に充分届く。ソウルも東京も火の海になるのか、日本海側の原発をねらい撃ちにされるなんてことが可能なのか、専門的なことは判らない。ただ、ひとつ言えるのは、もう今の世界に予想のつかないことなんてない──ということだ。思い出すのは1994年。松本にサリンが撒かれて8人の方が亡くなる事件があった時、現場に住む住人が劇薬の調合に失敗したとして、河野義行さんが逮捕された。 これは警察の失態であり、マスコミの重大な過失ではあったけれど、じゃあ我々に責任は無かっただろうか? この平和な日本で、誰かが信じがたい悪意と労力を以て、誰かを殺すためだけに毒ガスを撒くなんて、あの時誰が予想出来ただろう。少なくとも僕は信じられなかった。だから当時ワイドショーに招かれた元FBI捜査官のカイル・オルソンが、「これはある国家(暗に北朝鮮を匂わせていた)か集団が、意図的に誰かを傷つけようと計画した犯罪だ」と言った時、正直びっくりした。アメリカ人というのは、FBIというのはそこまで考えるのか、可能性を探るのかと思った。しかし実際その翌年、東京の地下鉄で再びそれは起こった。 一昨日の日記で『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』に触れたけれど、その中で村上春樹さんは、サリン事件があって阪神大震災があって9.11があって、「我々は以前の世界の方がリアルに思え、今ある現実の方にリアリティを失っている」という旨の発言をしている。執筆時のインタビューなので言及されてないが、それが『1Q84』のテーマになっていることは間違いないだろう。そしてあの長い長い小説があれだけのベストセラーになったのは、多くの人がそんな危機感と喪失感を共有しているからだと思う。 今日は久しぶりに午前中、9時前からjogに出た。まさに紅葉はピーク。銀杏の樹の下には丸い黄金の絨毯が出来ていた。休日ということもあって、走り終わり11時近くになると、バーベキューにやって来た人達が幾家族も見受けられた。お父さん達が火をおこし、お母さん方が食べ物の準備をする間、子供達はらはらと落ち葉が舞う中を駆け廻っていた。この平和を守るため何を考え何をすべきか、我々大人達の責任はとても重い。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-23 09:41
|
Trackback
6時起床。本日もjogは自粛して、早朝より原稿書き。一昨日トイレに既読の本を置いて、仕事の合間にパラパラと読むと書いたが、雑誌もある。我が家の手洗いは、便座に座った正面の壁に天井まである本棚が設えてあって、快適な読書スペースになっているのであります。一番下の段には大判のグラフ系雑誌が並べてある。『BRUTUS 』に『Guitar magazine 〈ギター・マガジン〉』、古いMac雑誌の『MacUser日本版』、『太陽』の安藤忠雄特集、『STUDIO VOICE』、『アコースティック・ギター・マガジン』、学研のインテリア雑誌『私の部屋づくり』、etc.
まったく脈略がない。というのは、さすがに雑誌は溜まる一方なので、時期が来れば順に処分していく。けれど繰り返し読み、捨てたくないものが、その棚に残っていく。その中の一冊に『オレンジページ』2007年12/17号がある。特集は〈まとめてやらない大掃除〉。ガス台の掃除には、お風呂で身体を洗う時に使うナイロンタオルを割り箸の先に巻き付けると細かい所までキレイに出来るとか、ステンレスシンクの水滴の跡は、水道水に含まれたカルキが固まってしまったものなので、クエン酸液をかけ、その上をラップで被って約20分バックすると簡単に擦り落とせます──なんて書いてある。 こうして仕事に追い込まれて来ると、「この山を越えたら何をしよう」と考えるのが楽しくなる。すべての原稿を入れ終わるのは12月27日の予定。その後校正等の作業もあるのだが、取り敢えず年末年始の数日は休めそうだ。なのでこの『オレンジページ』をパラパラとめくり、「ふむ、あそこはこうやって綺麗にするのか」「よおし、あの場所もテッテ的にやってやろう」などと一人呟いている。しかしまあ、毎年そうなのだが、年末進行の追い込みで12月末はぐったりと倒れ込むように過ごしてしまい、大掃除は年が明けてからになる。どちらにせよ今年も残りひと月半。今日はTVのCMで「We Wish You a Merry Christmas」が流れているのを聴いた。ちなみにリンクしたのはアイルランドの歌手・エンヤのヴァージョン。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-22 12:08
|
Trackback
4時半起床。書き下ろしの原稿に向けて、テンションは上がり始めている。昨夜寝たのが深夜1時過ぎだったから、睡眠時間は約3時間。昨日の日記にも触れた村上春樹さんのインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』によると、春樹氏は元々朝に集中して小説を書かれるそうだが、長編に没頭し始めると、起きる時間がどんどん早くなり、最初は夜明け近くだったのが、午前2時、1時となっていくそうだ。一方、手元に雑誌『papyrus〈パピルス〉』(幻冬舎)2008年8月・VOL.7号がある。創刊1周年記念「特別企画・村上龍徹底特集」。
ロングインタビューがあって、その中で村上龍さんは具体的な執筆のペースについて語っている。『ヒュウガ・ウイルス〜五分後の世界〈2〉』は「一日8.000字というノルマを決めた書いた」とある。400字詰め原稿用紙に換算すると20枚。確かこの小説は箱根プリンスホテルに籠もって約15日くらいで書き上げたのではないか。また、上下2巻にわたる長編『半島を出よ』に関しては、「無理(書けない)かもしれないけれど、やればひょっとしたら出来るかもしれない、だからやってみよう」というスタンスで書いたとも語っている。 ![]() ※写真は本日のネコさん。トタン屋根の上のミケ。今日の午前11時50分、我が家のベランダより撮影。この時間は翳っていたが、その前の数時間陽が当たっていたので、トタンが温かかったのだと思われる。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。 ▲
by tohramiki
| 2010-11-21 09:33
|
Trackback
|
ファン申請 |
||