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7時起床。朝ご飯を食べてからジム。いつも通りマシンを始めると、思っていたより自分が疲れていることに気づく。考えてみればこの一週間はけっこうハードに働いた。なのでストレッチを念入りにすることからやり直し、マシンとダンベルは普段よりも一段ウエイトを落として軽めにした。1時半にジムを出て、その足で八王子いちょうホールへ、お芝居『赤毛のアン』を観に行く。友人の女優・越智絵理花さんが昨年9月阿佐ヶ谷でやった“語り”の時に知り合ったプロデューサーの方が招待してくださった。
これは東京都主催の「ふれあいこどもまつり」の一環として上演されるもので、なのでいわゆる児童向けのお芝居ではあるのだが、僕は恥ずかしながらこの、L・M・モンゴメリによる、世界中の少女達のバイブルと呼ばれる長編小説を読んだことがなく──まあ、女の子が『ハックリベリィ・フィンの冒険』や『十五少年漂流記』を読まないように、男の子は『赤毛のアン』や『若草物語』は読まないものです──これは良い機会とばかりお言葉に甘えたわけです。 舞台は20世紀初頭のカナダ東部の田舎町。モンゴメリは新聞記事で読んだ男の子と間違えて女の子を引き取った夫婦の話に着想を得てこの作品を書いた(←Wikipediaより)と言われ、物語は孤児院で育った11才の少女アン・シャーリーが、マシュウとマリラという老兄妹に引き取られるところから始まる。なるほど、世界中の女の子のバイブルと言われるのが良く判る。此処に子供達が学ぶ人生のすべて──人は容姿や出身(赤毛で痩せっぽち、孤児)で誰かを差別したり自分を卑下してはいけない、友達は何よりも大切で家族は尊く、どんな理由があっても嘘をついてはいけない、そして努力すれば必ず報われる──がある。 車で来ていた越智さんが途中まで送ってくださると言ってくれたのだが、今日のように疲れている日は少し歩いた方が回復するので、八王子の街をのんびりと散歩して帰った。お芝居の中程、男の子を欲しかったマリラも次第にアンの明るさに惹かれ、二人は本当の親子のように家路を辿る、というシーンがあった。そしてアンは言う。「誰かと一緒に帰れる家があるって、なんて幸せなことかしら」と。そう言えば、自分はもう何十年も誰かと家に帰ったことがないなと思い出した。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-28 15:16
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6時起床。外はまだ薄暗い。昨夜寝たのは3時だから、睡眠は3時間。それでもけっこうすっきりとはしている。6時半より、毎月末恒例の『ビデオ・ザ・ワールド』誌AVレビュー、13本を一気に書く。10時前に7本、Y編集長が出社して来る頃だろうからと、取り急ぎメールで送る。さあ、半分を超えた、正午過ぎには終わるだろうと思うのだが、毎度のこと、此処からペースがガクンと落ちる。残り二日で三月というのに、部屋の中はしんしんと冷える。加湿器をつけているせいか、窓には結露が。見ると外が異様に白い。大きめのタオルで窓を拭くと、綿菓子のような雪がはらはらと落ちている。
1時半、Y編集長よりTEL。「3時ギリなんですけど大丈夫ですか?」と。残り2本。「たぶん大丈夫」と答え続きを書く。14時40分終了。やれやれ。朝からお腹に入れたのは蜂蜜たっぶりのミルクココアとブルボン・ルマンド2本だけだが、あまりご飯を食べる気がしない。少し休もうと寝室に行きベッドへ。いつものことだが、こうして集中して原稿を書いた後は、横になっても脳がすごい勢いで動いているのが判る。疲れ切っているのだが、色んなイメージが制御不可能なほどに動き廻る。幻聴のようなものも、聴く。 約1時間眠り、起き出す。ジムに行きたいなと思うが、身体がずしんと重い。取り敢えずお風呂に入ろう。我が家の給湯スイッチはキッチンの壁にある。流しの横に立つと、「ああ、そうか、B社のMくんに先日取材で撮った写真を送る約束をしてたんだ」と思い出す。お風呂はその後にしようか、いや、まずは──と考えていると、アレ、何だか変だ、と思う。部屋の中が明け方のように薄暗い。手に感覚が無い。給湯のスイッチを押すが何故か反応しない、変だな、おかしいな、と数回押した時に気づいた──これは、夢なのだ。 キッチンから寝室のベッドまで約5メートル。どういうわけか、「おいおい、此処からあそこへ戻るのかよ、大変だな」と思ってる自分がいる。それでも、何かとても狭い所、自分の身体の1/10くらいの狭さの柔らかいトンネルを必死になって通り抜けていく。すると微かにベッドに仰向けに寝ている感触が甦って来て、やがて頭が動き出す。しかし例によって身体は金縛りに遭っている。「うわぁぁ」ともがいて眼が覚めると、まるで幽体離脱から生還したような気がした。雪は細かい雨に変わっていた。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-28 08:34
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7時起床。冷たい小雨の降る中をjog。梅と早咲きの桜が雨に濡れて綺麗だ。そしてサンシュユが咲き始めた。ミズキ科の落葉小高木。梅に似た黄色い花を咲かせる。別名ハルコガネバナというそうです(Wikipediaより)。この公園では毎年梅が白、赤、サンシュユと咲き、順番に散っていく。そしてこの黄色い花が落ちきると、いよいよソメイヨシノが開花する。iPod Shuffleの中は相変わらずストーンズ。TSUTAYA DISCASの定額8枚コース・ひと月1,980円(二枚組は2枚と数える)で『ベガーズ・バンケット』『レット・イット・ブリード』、『スティッキー・フィンガーズ』『 メインストリートのならず者』と借りていった。延滞金は無いのだが、2枚を返さないと次のが送られて来ないシステムのようだ。続いて『 ラヴ・ユー・ライヴ(二枚組)』を借り、そこまでは良かったのだが、『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』『 イッツ・オンリー・ロックン・ロール』で止まった。
1969年の全米ツアーを収録したライヴ・アルバム『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト〈et Yer Ya-Ya's Out!' The Rolling Stones in Concert〉』、これだけ在庫が少ないようで、一向に貸し出される様子が無い。仕方なくあきらめ、代わりに「Let's Spend The Night Together」や「Honky Tonk Women」が入っているベスト盤『スルー・ザ・パスト・ダークリー(ビッグ・ヒッツVol.2)』を借りた。こういうことをやっていると、足繁くビデオレンタル店に通っていた頃を思い出す。ある日何気なくデイヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』パイロット版を借りて見事にハマッてしまい、TVシリーズをシーズン1から順番に借りていったのだが、確か4巻か5巻が、突然パッタリと七並べで誰かに止められたみたいにずっと貸し出し中になって、あのドラマを観た人は判ってくれると思うけれど、続きが観られないと禁断症状が起き(笑)、思い余ってLD15枚組のボツクス・セットを買ってしまった。 以前にも書いたけれど、当時レギュラーでかなりのページ数をデザインしていた雑誌があって、しかしそれが未成年の女の子の水着やセミ・ヌードを乗せる方向に動き出し、決して非合法ではないのだが、何だか気分が悪くなって辞めてしまった。編集長に「そういうことで降りるよ」と言い、彼は「モラリストですねえ」と鼻で笑ったのだが、別にどうでも良いやあ、チクショーメ、などと呟いて高田馬場を歩いた。収入の半分が消え、さてとこれからどうしようと思いつつも、帰りに何気なく寄ったレコード店でそれを見つけ買ってしまったのだ。 家に帰りぎじゅ太を膝の上に乗せ、前足を持って腹話術人形のように動かし、「お兄ちゃんはお仕事を辞めてしまいました。ボクとみャ太のカンヅメはどうなるのでしょう?」と言って遊んだ。その後どのように生活費を補填したのかは覚えていない。しかし今自分はこうして生きているし、ネコ達を飢えさせた記憶もないから、きっと何とかなったのだろう。『ツイン・ピークス』はもうずいぶん前にDVDのボックスが発売されたし、パイオニアはLDプレーヤーの製造をやめた。ついこの間のことのように思えるけれど、実はもうずいぶん昔の話になる。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-26 16:45
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6時起床。早朝より出来るだけ仕事を進め、8時半に外出。外は冷たい雨が降っている。9時45分に東京駅。八重洲にある、とある企業にお邪魔して打合せ。今の段階で詳しいことは書けないのだが、鉄道ジャーナリストの梅原淳氏が「共著というかたちで一冊やってみませんか?」と声をかけてくださった。梅原さんと知り合ったのはメールソフトの履歴を見ると06年の7月。この日記を読んでくださっていて、お便りを頂戴したのがきっかけ。以来、メールのやりとりをさせて貰っている。
梅原さんからのお話なので鉄道に関するルポルタージュなのだが、いわゆるコアな鉄道ファンに向けてではなく、一般の人にもうったえかけるもの──というのが編集サイドの狙いとか。さらにその中でも専門的な分野に関しては梅原さんが担当され、僕はより初歩的な部分を書く予定。しかし取材先の窓口になってくださった営業課長さんのお話を伺っていると、僕のような門外漢の人間も、「ウーン、面白そうな取材になりそう」と何故かわくわくして来る。鉄道というものには、やはり何処か人間を根元的に揺さぶるものがあるのではないだろうか? それは旅、景色を含めた旅情というものに深い関係を持つツールだからなのか、あるいは汽車、電車、列車というもの自体が、そもそも人間を惹きつける魅力をアプリオリに内包しているのだろうか? 考えてみれば、大抵の子供は無条件に電車やバスやその他の乗り物が好きだ。それは鉄道や交通といったものすべてが、利便性というものを追求して生まれた、人間の叡智を象徴するものだからだ。我々はそこに、凝縮された歴史を無意識のうちに見る。鉄道に関して言えば車両やレールというハードだけでなく、緻密なダイヤを初めとしたソフトウェアにまで、多くの人の知恵と努力が注ぎ込まれている。人々が努力して作り上げたものはやはり美しく、多くの人を無条件で魅了する。 打合せは正午前に終了。東京駅で梅原さんと別れ、帰宅したのが1時半。少し仮眠してから遅い昼食をとり、夜11時過ぎまで原稿を書く。長い一日。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-25 13:49
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6時半起床。今日は午後から取材。この日記をアップし、仕事を出来るだけ進めてから11時過ぎに外出。ジムに寄り1時間強トレーニングをしてから向かう。場所は一日おいてまた下北沢。ベテランのAV男優で監督、そして20年来の友人である太賀麻郎くんに会う。昨年11月より『オレンジ通信』というAV情報誌で、彼の波乱の青春を小説風に描く「放蕩息子の帰還」という連載を始めた。しかし三話書いたところで雑誌自体が売上げ不振により、休刊になってしまった。正直まいったなと思っていたのだけれど、同じ下請けプロダクションの編集で『オレンジナビEX』という新雑誌がスタートすることになり、幸運にも連載ごと引っ越すことが出来たのである。
タイトルの「放蕩息子の帰還〈The Return of the Prodigal Son.〉」は聖書の一節で、レンブラントの絵にも描かれているものだが、個人的には永島慎二の劇画『漫画家残酷物語』の中の一編から拝借した。エリート兄弟の中でただ一人反発し、東京に出てフーテン暮らしをしながら売れない漫画家になった末弟が、母親危篤の知らせを受け初めて帰郷する。だが結局母の死に目には遭えず、医者や実業家、弁護士になった兄達からは「お前は母さんの夢を台無しにした」と強く非難されるが、彼はひと言も反論せずにそのまま故郷を去る。しかし、その場に残された兄の一人がふと、「本心ではあいつが羨ましい。俺もお袋に弁護士になれと言われたが、実は文学の道に進みたかった」と語り始め、やがて全員が静かに放蕩息子の末弟を理解する──という短編である。 ![]() しかし文化学院で演劇を学んでいた時期、ひょんなことから当時はまだ創生期だったアダルトビデオというヤクザな世界に足を踏み入れる。それを知った父親は「親戚中の恥」と息子を勘当する。僕らが出会ったのはそれから3年程経っていただろうか? 麻郎ちゃんはアダルトというマイナーな世界ではあるのだが成功し、後輩の男優を集めプロダクションのようなもの──ようなもの、と書くのは仲介料をほとんど取っていなかったからだ──をやり、ビデオの制作も手がけるようになっていた。「オヤジもね、やっと口をきいてくれるくらいにはなったんですよね」と語っていた。僕は彼に長いインタビューをし、タイトルを「放蕩息子の帰還」とした。 これは本来なら僕の初めての単行本『アダルトビデオジェネレーション』に収録するべきものだった。しかし幾つかの事情で入れるのをやめた。ひとつには当時撮った写真を引っ越し等で紛失してしまったからだが、他にも理由があり、それは長くなるので書かない。ただ、僕の中には長い間引っかかり続けた事柄だった。あれから20年という日々が過ぎ、互いを取り巻く状況も変わった。僕はAV監督を辞め専業の物書きになり、麻郎ちゃんも紆余曲折あり、今は二人の娘を育てるシングル・ファーザーになった。僕も麻郎ちゃんも、そして企画に乗ってくれた編集のAくん、Tくん共々、何処かへ上手く帰還出来ればと思っている。 ※写真は1987年頃、リーゼントにサングラスがトレードマークだった太賀麻郎。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-24 14:12
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はっとして起きると既に10時。やはり週に1日はゆっくり眠ることを身体が要求しているようだ。冷たい小雨の降る中をjog。梅と早咲きの桜が雨に濡れて綺麗だ。戻ってTVをつけると、画面上に速報で「本木雅弘さん主演の映画『おくりびと』がアカデミー賞外国語作品賞を受賞」と流れる。夕方のニュースでは、日本で中継を観ていた関係者が抱き合って泣いている映像や、監督の実家で82才になるお父さんが思わず立ち上がって万歳をしている様子が映し出されていた。こういうのは、まったく他人事ながら嬉しいものですね。
滝田洋二郎監督は会見で「夢のようだ」と語ったという。滝田氏は80年代初頭から、俗に「ピンク映画」と呼ばれる成人映画を数多く手がけて来た人だ。確かに当時は自分が将来、ハリウッドのレッドカーペットを歩くなんて夢にも思わなかっただろう。しかし、ピンク出身の監督は意外に多い。昨年大ヒットした『相棒〜劇場版』の和泉聖治氏もそうだし、TVでお馴染みの井筒和幸さんも。『Shall we ダンス?』で知られる周防正行監督もデビュー作はピンク映画である。 ピンク映画やアダルトビデオの良いところは、低予算で大量──AVは天文学的数字な程に──に作られることだ。監督は圧倒的な数の現場を踏み、演出と編集を学んでいける。また、映画・映像にとって、とにかくたくさん作られるということがまず好ましいことだ、と僕は個人的に考えている。日本映画全盛期と言われる1950年代から60年代、この国ではそれこそ星の数程のプログラムピクチャーが制作された。もちろんそのほとんどが人々の記憶にすら残らないものだが、そう言った裾野があってこそ、小津、黒澤、成瀬と言った巨匠が生まれた。後に日本映画が衰退し、香港映画やインド映画が勃興したのはこの裾野の違いだ。 僕は仕事でアダルトビデオを観るけれど、その9割以上はクズだ。それらの多くは残念ながら映像的にどうしようもないだけでなく、人の劣情を刺激するという意味すら持たない凡庸で退屈なものだ。しかし、そう言った作品があるからこそ、残り1割にも満たない、浜辺の砂に埋もれた宝石のような傑作が存在する。今後はAV監督も一般映画に数多く進出していくだろう。まずは昨年アメリカ資本で『片腕マシンガール』撮った井口昇。また、井口くん同様個人的に親しい堀内博志も昨年暮、『新任女教師・劇場版 愛してるとか 好きだとか』を劇場公開した。主演もAV女優の伊東遥だ。また、AVの世界では“鬼才”と言われて久しい長江隆美監督も、今年一般作を制作するそうだ。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-23 09:13
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7時起床。朝から友人Kの残した形見のブーツを手入れする。靴を下ろすのは午前中にしなさい──と、子供の頃から母親に躾られた。何か根拠はあるのだろうか? ともあれ、まずは固く絞った雑巾で全体を拭き、その後靴クリームを塗る。踵に東急ハンズで買った補修ゴムを貼り、付属の小さな釘で打ち付ける。今日は夕方、下北沢のライヴハウス「ラ・カーニャ」にて、阪本正義、東京バンド、による年に一度のライヴ・イベント〈素晴らしき日曜日〉がある。このブーツを履いて行こうと決めていた。
昨年の2月24日、Kが自分がガンになったことについてのドキュメンタリーを企画し、フジテレビで放映することを考えているので少し相談に乗ってくれないか、と言った。それなら阪本たちのライヴがあるので下北沢で会って打合せをし、その後一緒に行こうということになった。6時に駅前の「和民」に入りKは生ビールを一杯、僕は二杯飲んで話した。1時間ほど経って「そろそろ行こう」となった時、Kが「最近俺、換気の悪いライヴハウスとか行くと息が苦しくなっちゃうんだよね」と言った。なので、「それならまたの機会にしよう」と別れた。それが、二人で交わした最後の酒になった。 あの時、どのように別れたのか、上手く思い出せない。場所も、「和民」を出たところだったか、それとも南口の階段の下だったか。それが思い浮かべられたなら、最後に見た彼が元気に歩く姿であったはずなのだが。今日は出かけるぎりぎり、5時過ぎまで原稿を書き、Kの残したブーツを履いて下北沢へ向かった。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-22 16:18
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7時起床。朝いちばんでジム。いつものように帰りはスーパーで買い物。不況のせいか何処も物が安い。特に西友は今、お客様へのマニフェスト「地域でいちばん安いお店をめざします」というキャンペーンをやっていて助かる。ちょっと前の“バナナ・ダイエット騒動”の時には貧弱なヤツが4本で100円以上したのに、今は頼もしい太さのが5本から6本で97円。納豆は50g入り3パックが78円。ブルボン・ルマンドが98円で安売りしていたので「やでうれしや」と3つ購入。好きなんですよね、ブルボン・ルマンド。袋の裏側には「幾重にも重ねた薄いクリーム生地を、甘さをおさえたココアクリームでやさしく包み込みました」と書いてある。ウーム、なんと美味しそうなコピーなのだろう。
それと、不意にホウレンソウのおひたしが食べたくなり、1袋99円のが30%引きになってる古めのをカゴへ。今日食べるんだから問題ナシ・・・とレジを通るが、「ん?」と思う。レジのお姉さんが30%引いてくれてない気がした。買ったものをデイパックに詰めながら──我が輩はエコである。レジ袋は要らない(←NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」より)──レシートを見ると99円とある。やはり引かれてない! こういう時、少し迷う。昔、道に落ちてる1円玉を拾う労力は1円よりかかるということが言われたけれど、この場合どうなのだろう。僕の場合カードで買っているので、以前にも経験があるのだが、お姉さんがレジに特殊な鍵みたいなのを入れてコードを打ち込み、カードリーダーに数回通して、と面倒くさいんだよね。 まあ、いいか、急いでるし、と思う気持ちを、「うんにゃ、99円出すのなら新鮮な方にしたのだ!」と断固(ってオーバーだね、どうも)レジが空くのを再び並んで待って「んと、コレ30%引かれてないみたいなんだけど・・・」と申請する。ところで僕はホウレンソウのおひたしは電子レンジで作ります。流しで水洗いし、ボウルにお水を張って2、3分浸してから、ラップで包んでチンするだけ。1袋の半分、6株ほどで約2分程度。「アッチッチ」と言いつつラップごとボウルに放り込み、冷やしてよく水気を取るだけ。お醤油にほんの少し味醂を加えると美味しい。普段からお醤油差しに5対1くらいの割合で味醂を混ぜておくと便利。黒ゴマをふっていただきます。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-21 10:02
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本日も5時半起床。午後から取材があるのでjogは自粛し、いつものようにぬるめの風呂に入り、眼を覚ましてからiMacG4に向かう。しかし約1時間ほど集中して原稿を書いただろうか、頭の後方、首筋の上の辺りに違和感を感じたかと思うと、フラリと眩暈を感じる。「あれ?」と思った途端、頭全体がガクンッとすごい勢いで後ろに倒れた。「えっ、何だ、何だ?」とうろたえたところに、腰から下の力が一気に抜ける。下半身が麻痺したというか、いや、自分の身体半分が消えて無くなってしまったようだ。そのままズルリと椅子から転げ落ちる。全身が床に落ち、頬に冷たいフローリングを感じたかと思ったら、その感覚もすぐに消えた。それでも身体は下に落ち続ける。床が溶けてゴムのようになり、その奈落へと落ちていく。えっ、えっ、どうなるんだ? うわぁぁぁぁぁ、と声を上げた時、気がつくとベッドの中にいた。
と、ホラー小説風に書きましたが、要するにこういうことです。5時半に起きて早朝から仕事を始めたものの、眠気が去らず。うーん、これは少し仮眠してリフレッシュした方が効率良いなと思って寝室へ行き仮眠。しかし眠り中では仕事を続けてる夢を見ていたわけです。さらに、どうやら寝入りばなに相当深く熟睡したようで、眼が覚めた時、自分が寝ていたことすら覚えていなかった。フトンの中でしばらく呆然として、そうか、いったんは起きたものの二度寝したんだけっけ、と思い出す。それにしても、悪夢とはいえ面白い夢だったな。うっふっふ、と一人笑う。 こうして午前中や午後の早い時間に昼寝をすると、この手の不思議な夢を見るような気がする。たぶん、脳が夜よりも動いているせいじゃないだろうか。そう言えば“金縛り”にも遭っていたような気がする。あれは、身体が起きてもまだ頭が起きていない状態だ。やれやれと起き出し、2時間ほど写真の取り込みとファイル変換などして、軽い昼食をとってから外出した。今週はけっこう頑張れたような気がする。しかし仕事のピークは月曜から。明日、明後日の土日も休まず仕事を続ける予定。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-20 14:27
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5時半起床。やはり部屋の中は真っ暗だが、ぬるいお風呂に20分ほどつかり眼を覚まして出て来ると、外は微かに明るくなっている。6時前に起きたのはひと月ぶりくらいだろうか。夜明けは30分ほど早くなっている。6時半よりjog。さすがに寒い。北風が冷たい。季節は行きつ戻りつだ。最後まで手袋を外すことなく、121分走る。今日は文章ではなく、写真の取り込みやデザインの仕事だったので、CDを流しながらやる。新しいアンプを買ったので、音楽を聴くのが楽しくて仕方ない。ロバート・ワイアット、1991年の『ドンデスタン 〈Dondestan〉』と、92年にリリースされた『ミッド・エイティーズ〈mid-eighties〉』という編集盤を繰り返しかける。
ロバート・ワイアットは60年代、ソフトマシーンというイギリスの、サイケデリックで先端的なプログレッシヴ・ジャス・ロック・バンドの打楽器奏者だった。しかし70年に脱退した直後、ビルの5階から転落するという事故に遭い、半身不随になる。以降、ミニマルでありながら牧歌的な香りのする、独特の音楽を発表し続けるようになる。僕がワイアットの音楽に触れたのは遅い。たぶん90年代になって、ブライアン・イーノによる一連のアンビエント作品をCDで買って以降だ。傑作『ミュージック・フォー・エアポーツ〈Music for Airports 〉』の一曲目「1/1」で生ピアノを弾いているのがワイアットだ。それを知ったのはCDのライナーノーツからではなく、ムーンライダーズのベーシスト・鈴木博文さんのエッセイ集『僕は走って灰になるなる』だった。博文さんは確か、そこで奏でられるワイアットのピアノを、「放課後の教室で誰かが弾いているような」と表現されていたと思う。 確か、思う──と書くのは当時その本を、装幀の仕事で見本として印刷屋さんに渡し、そのまま返却して貰うのを忘れて今に至るからだ。『ドンデスタン 〈Dondestan〉』のライナーには、音楽評論家の大鷹俊一氏がワイアットをロンドンから4時間離れた田舎町へ訪ねるという一節が寄せられている。博文さんの本には〈湾岸スタジオ〉と呼ばれる、お兄さんの慶一さんと少年期からを過ごした羽田の実家の原風景が描かれている。ロンドン郊外と東京湾岸、違いはあるけれど、そこには牧歌的でありながらアンビエントな風景が広がっているような気がする。 さて、『僕は走って灰になるなる』を古本で買い直そうかと、今Amazon.co.jp で調べてみると、10年後に増補された新版『僕は走って灰になる〜TEN YEARS AFTER』というものが出ていた。 ▲
by tohramiki
| 2009-02-19 12:45
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