今日も9時まで寝てしまった。テレ朝の「サンデー・プロジェクト」を録画予約してからあわててjogに出る。昨日民主党の党首に決まった前原誠司とかジャーナリストの櫻井よしこさんとかが出るみたいだ。昨夜は仕事の途中でフトつけた日テレの「世界一受けたい授業」という番組には竹中平蔵大臣が出ていた。世の中はコイズミ劇場と言うけれど、僕はこの人とか猪瀬直樹とかが言った「小さな政府」に関する判りやすい説明が実はけっこうこの大勝には効いたのではないかと思ってる。でもまあ、それは僕がTVばっかり見てるせいなのかもしれいが(涙)
ともあれ、その番組の中で竹中さんは「経済とはジューサーのようなものだ」と言っていた。野菜や果物を入れてかき回し新たな味と飲みやすさを提供すること、そのためにはプロフェッショナルな人物が必要なのだという説だった。そこで我が身を考えてみた。僕は一応プロフェッショナルなモノ書きということになってはいるけれど、何かそれが社会的な効果になっているのかなあということだ。そして、そう考えていくと何故自分が「売れないライター」なのかという理由になるわけだ。
ただ、僕はこうして毎日一銭のお金にもならない日記を書き続けてはいるけれど、断じて「これはオレの純粋な表現なのだ」なんて思ってない。あたりまえだけど、文章というのは誰かに伝わらないと意味が無い。従って文章を書くことは楽しみではあるのだが断じて趣味ではない。そもそも趣味って何だ? 例えば僕は趣味でバンドとかやってる人の気持ちがわからない。仲間内を呼んでライヴをやったりして、ステージの上から「すみません練習不足で」とか言ったりしてる。だったら最初からやるなよ、と思う。
だけど正直なところ、いったい何処に社会的効果が生まれるのかは読みにくい。個人的なことを書くと、いまだに「もうデザインはやらないの?」と言ってくれる編集者もいる。「ライターなんかやってたって儲からないんだからやめたら」と言う人もいる。残念ながらその辺りが僕の持つ今のところの社会的価値なのだ。結局のところ、その現実を冷静に見つめて原稿を書き続けるしかないんだよなあと思う。
そんなことを考えながら本日は過ぎていきました。仕事用のビデオを観るとか取材のテープ起こしとかいう作業がひとまず一段落し、今日は少しだけ原稿に集中することが出来た。