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今日も遅寝。昼前に起き出して原稿書き。夕方ジムに行き、戻ってからも11時前まで。日付が変わり、HDD録画しておいた20日放送テレビ朝日『ドキュメンタリー大島渚・最後の戦い〜奇跡の夫婦愛4000日』をやっと観る。大島監督は1996年、ロンドンで脳梗塞に倒れるも奇跡的な回復を見せ映画『御法度』を完成させる。しかしその後病状は悪化。番組では現在、右半身が完全に麻痺し、それは今後どのようにリハビリを重ねても完治することは不可能で、言葉もほとんど話せない状況と説明される。しかし監督自身も奥さまの小山明子さんも二人の息子さんも、とてもお幸せそうに見えた。
ご家族で近所の長い付き合いだという居酒屋へ出かけ、その際、監督は麻痺していない方の手でビールの中ジョッキをしっかりと握り口に運んでおられた。何より驚いたのは、明子夫人が車椅子を押し、人目をはばかることなく地元のデパートへ行きお二人でショッピングを楽しむ姿だった。監督はお元気だった頃と変わらぬあの独創的でお洒落なファッションに身を包み、病人、そして70代後半とは思えぬほど背筋をぴんと伸ばし矍鑠とされていた。他人事ながらとてもホッとした。何故なら大島渚という人は、僕の父親、そして我が家にとって特別な存在だからだ。 ずいぶん昔『追想特急〜lostbound express』の方に書いたように僕の親父は生前、役者を生業にしていたわけだが、大島監督がいなければその職に就くことはなく、また僕自身も今こうして東京に住み文章を書いたりしていなかったかもしれない。父と大島氏は京都大学の同窓で一学年違い。共に学生劇団を主宰し政治活動に身を投じてた。いや、彼らにとっての演劇は体制に異議申し立てをする一手段であったのかもしれない。氏は良く知られるように卒業後松竹に入社、大船撮影所にて映画の道を進むわけだが、父は大阪で平凡な高校教師の職を得る。我が両親は学生結婚で、卒業の頃既に僕の兄が母のお腹の中にいた。地元で安定した生活を手に入れる必要があったのだろう。 しかし親父は決して芝居を諦めたわけではなく、教鞭を取りつつラグビー部の顧問をしながらも平行して京都で小劇場を主宰し、部活の後疲れた身体で劇団の稽古に出かけていたという。若かった、ということを差し引いてもたいした情熱であったと言う他ない。そしてある日転機が訪れる。1960年、僕が2才の時だ。大島氏が監督第3作『太陽の墓場』を撮ることになり、父に連絡して来る。御存知の方もいると思うが主演に津川雅彦、炎加代子、佐々木功等を擁した、大阪は釜ヶ崎を舞台にした愚連隊と労働者の愛憎渦巻くドラマである。大島監督は関西の演劇事情を良く知る父に、「大阪弁をしゃべれる役者を集めてくれないか?」と言ったという。 それが何人必要だったのかは判らない。ただ、僕が母から聞いた話では一人どうしても足りなかったそうだ。そして、父は自分がその最後の一人になった。親父は芸名を戸浦六宏という。それはこの時、現職の高校教師でありながら──非常に校則等の厳格な私立校だったという──映画に出てしまうのはマズイと思ったのだろう。ただ同時に、一回こっきりの出演で芸名なんてものを付けるのもまた大げさと考えたのかもしれない。本名の東良睦宏(とうら・むつひろ)を字だけ変え、戸浦六宏とシャレの様な名前にした。しかし出番も少なく台詞もほとんど無かったが、彼の演じた津川雅彦率いる愚連隊のナンバー・ツー“マサ”と呼ばれる片足の男は、とても強い印象を残し、大島監督からの誘いもあって高校教師を辞める決心をする。そして我が家は家族4人、知り合いも親戚もいない東京へ引っ越して来た。先に“僕自身も今こうして東京に”と書いたのはその意味だ。 大島監督は次作、安保闘争を題材にした『日本の夜と霧』(1960年)を、松竹が監督本人に無断で上映を打ち切ったことに抗議して退社、独立プロダクション創造社を結成する。父も小山明子さん、故・渡辺文雄氏らと共に創設メンバーとして参加。『白昼の通り魔』『絞首刑』『新宿泥棒日記』『儀式』と、錚々たる名作に関わっていく。創造社は1972年の『夏の妹』を以て解散するが、父は1983年の『戦場のメリークリスマス』に旧大島組からはたった一人招集される。軍律会議通訳という役柄だったので、主演のデヴィッド・ボウイとツー・ショットで共演した。親父には当初「イギリスの流行歌手」くらいの認識しかなかったそうだが、初日リハーサル、その一挙手のみでボウイの役者としての才能、独創的な演技プランに驚愕した──と、酒に酔うと僕に何度となく繰り返した。そして終生、デヴィッド・ボウイと共演出来たことを役者としての誇りにしていた。 1993年に父が亡くなった時、それは急な死であったにも関わらず、誰よりも先に我が家まで駆けつけてくださったのが大島渚監督だった。お元気でいてくださるのなら、いつかお会いしてお礼を申し上げられる日が来るかもしれない──そう思えるだけで心が晴れるような気がした。
by tohramiki
| 2008-10-23 16:46
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