7時起床。今朝も暑い。9時にジムへ。取材の録音データをiPod Shuffleで聴きながら向かう。いよいよ仕事のヤマが近づいてきた。いつものように西友の地下食料品売り場で買い物などして戻ると、ダスキンに頼んでおいた「ふとん丸洗いサービス」用のキットが届いていた。これは送られてきた専用の布団袋に入れて、宅配業者が回収、ダスキンの指定工場でクリーニングしてから再び届けてくれるというもの。これでやっと押し入れの中を少し整理出来そうだ。
6月が異様なほどに忙しかったせいで、結局キチンとしたカタチでの衣替えが出来なかった。その時々で長袖のTシャツを仕舞い、半袖を出すということをやっていた。だから未だ寝室のチェストの中には冬用のカットソーなどが入っているというていたらく。仕事を終えたのは夜の10時過ぎていたけれど、この際、しっかりと冬物を仕舞おう、半ズボンもまだ出してなかったし、などとやり始めたのだが、それ以前に不要な衣類を処分しないとダメだなという結論になる。
此処3年ほどで、何故か服の趣味というか嗜好がガラリと変わってしまった。まずYシャツ的な、要は襟の付いたシャツを、フォーマルな場を除いて一切着なくなってしまった。真冬でも長袖のTシャツかカットソー1枚で過ごしている。外に出る時はその上にダウンジャケットか革ジャンを着るだけ。セーターなんてものはやはり着なくなった。押し入れには毛糸のマフラーも入っているが、こういうものも今後一切身に付けないだろう。我ながらこの変化は何なのだろうと思う。
南沙織が──と書いても判る人は少ないと思うので捕捉すると、30年以上前のアイドル歌手。現在は写真家・篠山紀信の奥さん──歌手を辞めようと決意した途端、自分のクローゼットの中にあるステージ衣装が、まるでピエロの服みたいにバカバカしいものに見えた、という話がある。精神分析学者・岸田秀の本で紹介されている。岸田氏はそれを聞いて「ああ、この人は芸能界からすっぱりと足を洗えるだろうな」と思った、という。気持ちがアイドルでなくなったから、それまで普通に着ていたフリフリのアイドル衣装が奇妙に見えたのだ、という分析である。確かに南沙織は、1991年紅白歌合戦に出場するまで表舞台には立たなかった。
福岡伸一氏の名著
『生物と無生物のあいだ』によると、人間は細胞レベルでは約1週間でまったく違った個体になっているのだそうだ。そう考えると我が家の押し入れにあるセーターやYシャツ、毛糸のマフラー達は、まるで僕という人間の抜け殻のようだ。抜け殻と言えば、いよいよ蝉がそこを抜け出して元気に鳴き始めた。