5時起床。締め切りギリギリなのでjogはお休み。夜明けと共に原稿を書き始める。夕方までに三分の一ほど書いてメールで送り、さて少しヒルネしてアタマを再起動し残りを一気に書こうと思ったのだが、また同居ネコのみャ太の様子がおかしい。変に息が苦しそうだ。時計を見ると5時前。獣医は6時までだからまだ間に合う。あわててゲージにつめてチャリを漕ぎ向かう。
先週快方に向かっていた肺の音はまた元の嫌な感じに戻っているという。念のためもう一度レントゲンを撮って貰う。先生は写真を見る限り肺の影は以前に比べ広がってないと言う。抗生物質と鼻孔を広げる薬に加え、ステロイド剤という薬を処方してもらう。おそらくただの気管支炎だろうが、たちの悪い腫瘍の可能性もやはり決して捨てきれないらしい。ネコの場合、肺や副鼻孔に腫瘍が出来た場合、それを手術で切り取るのはほぼ不可能なのだと教えられた。
レントゲン写真を現像する間、待合室にはミニチュアダックスとシーズーがいて、深刻な病気ではないのだろう、飼い主のオバサン達も楽しそうに談笑している。その中でひとりゲージの中で小さくなりブルブル震えているみャ太の頭を撫でていたら可哀想で涙が出そうになった。
帰り、すっかり暗くなった道をチャリンコを漕ぎながらまた、ネコの神様のことを考えた。みャ太はまだ11才、人間の歳にすると六〇才くらいだそうだ。もう少し生きさせてやりたいと願う。12年前、父も六〇過ぎで死んだ。彼が今まで生きていたら、どんな仕事が出来てどんな楽しみを味わえただろうと考える。父が死んだ時、僕には一切の後悔も無かった。晩年、たくさん話し合えたし理解もし合えたと思っていたからだ。だけど、今僕らが会うことが出来たら、もっと違うことを話せるだろう、もっと深く優しく理解し合えるだろう、そう思う。