昨夜は10時前には寝て、今朝6時までぐっすり眠る。朝から昨夜書き残した原稿を2本。書き終わったのがちょうど正午。続けて仕事をすればいいのだが、原稿を書いた後にはどうしても他のコトをしたくなる。というワケでジムへ。外はものすごい風。片足だけついて信号待ちしてると横風がブワーッと来て倒れそうになるほど。南風だ。後から天気予報で春一番と聞いた。
ストレッチと筋トレをゆっくり約1時間半。すぐに帰って仕事をしなければいけないのだが、こういう時に限って本屋とかに寄りたくなる。駅前の本屋さんで別冊文藝
『総特集・中島らも〜さよなら、永遠の旅人』購入。もう最近本は雑誌以外アマゾンドットコムなので本屋さんで買うのは久しぶりだ。レジの顔なじみのお姉さんが「今日発売の本よ」と教えてくれる。フム、確かにこういうやりとりはネットでは無理ですね。
この日記を読んでくださってる方はもうお気づきかと思いますが、僕は一般に有名な人で面識の無い人でも一方的に「さん」づけで書く。それは例えば「作家の村上龍が」と僕みたいな三文ライターが書くのはエラソーで恥ずかしい、というのもあるが、いつか会えるかもしれないという想いもあるからだ。自分にとって大切な人、好きな人ならなおさらだ。
そう考えると、中島らもさんには会えないんだよなあ、とつくづく思う。僕らの世代にとっては関川誠編集長時代の『宝島』、「啓蒙かまぼこ新聞」以来ずっと大切な人だった。何故かというとらもさんはまず最初コピーライターとして我々の前に現れたわけだが、それは糸井重里、仲畑貴志といった人々と同様に六〇年代、七〇年代というものを通して八〇年代の在り方を提示したからだ。言い替えればカウンターカルチャーに端を発した精神文化をどっぶりとくぐり抜けた上で大量消費社会における生き方を提示した。それは現在の「売れてるモノがイイものなんだよ」という根拠の無い、ダサイ考え方とは圧倒的に違う。物やお金が溢れかえる世界にあって、それに押し潰されることなく気分が良いとは何か、楽しいとは何か幸せとは何か、カッコイイ生き方とは何かを考えることだ。
それにしてもカッコイイと言えば、このムックに挿入されているそのポートレートの数々、若い頃からオジサンになってまで、中島らもは本当にカッコイイ。書くものもその考え方も、生き方もすべてカッコイイ作家であり表現者だったんだなあ。
らもさん、お会いすることは出来ませんでしたが、その精神は受け継いでいきます。