8時起床。少し長めに141分走る。雪は思ったより溶けていた。公園内のアスファルトの部分は難なく走ることが出来る、快調快調──と言いたいところだが、胃の上の方、みぞおちの辺りが不快。一昨日半断食して体調を整えたものの、昨日の法事の酒でまた元通りになってしまった。今日からまた2、3日はご飯を消化の良いものだけにして、アルコールは控えるつもり。昨日の日記で書いた父方の叔父は下戸で一切口にしないが、母方の伯父が無類の酒好きなので付き合わないわけにはいかない。こういう法事、あるいは祝い事になると大抵朝から飲んでる。
昨日はお寺さんがお経を上げてくれたのが正午過ぎ。それから墓参りをして家に戻って来たのが2時前くらいだったか。5時より近所の鮨屋で宴席を設けていたので「お茶でも入れましょうか」と言うと、「んー、いや、ワシはお茶よりも・・・」となる。「ビールですか」「ビールも良いど酒の方がナア」。折良く外は小雪がチラついてきた。コチラも嫌いではないので「それでは熱燗にしますか」と立ち上がり、オフクロに「徳利どこ?」などと訊き台所の棚を探る。気が付くと炬燵で差しつご返杯ということになっている。
この伯父の良いのは、酒の呑み方が実にあっさりしているところだ。ビールをチェーサーのようにしてコップ2杯、熱燗を一合ほど、それをちびちびとやっただけですっかりご機嫌になり満足してしまう。若い頃からそうだったらしい。酒好きだがめっぽう弱い。僕はこの人の血筋を引いたに違いない。結局小一時間ほど飲んだだけで「至福の時やなあ」などと顔を赤くして言って舟をこぎ始め、母が毛布を出してくるとそのまま夕方まで眠ってしまった。
伯父は大正生まれ。阪大出のエリートで、石川島播磨重工にてエンジニアとして、まさに高度経済成長期と共に生きた。定年後は姫路の私立高校で教鞭を取り、最終的には非常勤ではあったが70才半ばまで教壇に立った。80才を前にしてさすがに引退したが、今でも老人大学──これはおそらく俗称であろう──というものに通っているという。そこは現役を退いたお年寄り達が集まり、持ち回りで教師と生徒をやって学ぶんだそうだ。例えば文学を極めた人が理科系の人達にそれを教え、逆に伯父のような技術工学畑の人は、その道に暗い文化系の同胞にその世界を語る。そして夕方には家に帰り、伯母の作った夕飯をつまみに酒を飲み、8時過ぎには眠ってしまう。
僕もいつか、そんな年寄りになりたいものだ。まあ、まだまだ修行は足りないだろうが──と思いつつ、夜更けには貰い物のキャンベル・カップスープをしんみりと飲む。美味美味。