7時起床。朝いちばんでジム。戻ってからは夕方までゴリゴリと集中して仕事した。というのは、夜には下北沢のライヴハウス“ラ・カーニャ”へ、古くからの友人のバンド、マンドリン・ブラザースを観に行ったからだ。マンドリン・ブラザースは大庭珍太(g.b.vo)、長田“taco”和承(g.stg.vo)、ANNSAN(per.vo)の三人組。それぞれ30年以上のキャリアを持つベテランのミュージシャンだ。僕が彼らと知り合ったのはたぶん1988年頃だから、そうか、もう20年来の付き合いになるのだ。珍太とタコが鬼頭径五&HARLEMというバンドにいた時だ。
鬼頭径五は僕と同じ川崎出身のロックンローラー。88年にCBSソニーから“日本のブルース・スプリングスティーン”というようなふれ込みでデビューした。残念ながらレコード会社の思惑通りメジャーな音楽業界で商業的な成功を収めたとは言えないが、今も地元の川崎や横浜でブルーズ・フィーリング溢れる素晴らしい音楽を演り続けている。鬼頭径五&HARLEMには他に、元レイニーウッドの四ツ田ヨシヒロ(dr)や、もう一人岸田ゴンベというギタリストがいた。僕はひょんなことから彼らのPVを撮ることになり、約2年間全国をツアーで廻った。
『猫の神様』の中に“ゴンさん”と呼ばれるバンドマンと僕が新幹線の中で会話するシーンがあるけれど、あれはその頃の出来事だ。

大庭珍太はそれ以前に、アンクル・ムーニーやロケット・マツとTHE CONXというバンドをやっていた。小山卓治ともステージを共にしていたから知っている人もいると思う。タコヤキ、もしくはタコの愛称で知られる長田和承は奈良出身のギタリストで、あのデヴィッド・リンドレーも絶賛したという唯一無比のラップ・スティール・ギターを弾く。70年代後半には関西最強のファンクR&Bバンドと呼ばれたレイジーヒップにいた。ただ、珍太は元々、高田渡のバックバンドであるヒルトップ・ストリングス・バンドでウッドベースを弾いていた、いわば吉祥寺周辺のフォーク・ミュージシャンだったし、長田タコヤキもまた、10代の頃は大塚まさじ、西岡恭蔵らのバンド、オリジナル・ザ・ディランのメンバーだった。
だから鬼頭径五&HARLEMが解散した後、タコと珍太が、珍太のヒルトップ・ストリングス・バンド時代からの旧友ANNSANを誘って作ったマンドリン・ブラザースは、彼らの原点回帰の音楽活動のように僕には思えたものだ。今日のステージでもオリジナルの他に、加川良の訳詞をベースにしたトラディショナル・フォーク「永遠の絆」や高田渡が山之口貘の詩に曲をつけたブルーズ「鮪に鰯」、中川五郎の訳詞によるクリス・クリストファースンの「俺とボビーマギー」なんかを演奏していた。僕はマンドリン・ブラザースのライヴを観るたび、日本でも本場アメリカと同じように、フォーク・ミュージックやカントリーやブルーズが混じり合い融合し、ロックンロールが生まれていったんだなあと実感する。
演奏が終わり、珍太、タコ、ANNSANと「久しぶりやんかー」などと握手していると昔の記憶が甦って来る。街から街へと移動して、ライヴハウスで演奏してホテルに泊まり、翌日はまた次の街へと旅していく日々。言葉は何も要らなくて、「イエーイ」と言って握手してビールを飲めればすべてOK。いつも周りには良いロックンロールがあった。マンドリン・ブラザースが今夜演奏した「俺とボビーマギー」には、“ボビーがくれた昨日があれば、俺の明日をみんなあげても良い”という歌詞がある。
※写真は鬼頭径五&HARLEM時代の長田“taco”和承(左)と大庭珍太(右)。1988年ニューイヤーズ・イヴ、ロックンロール・バンドスタンド出演時。名古屋レインボー・ホールの楽屋にて。