7時半起床。いつの間にか、窓に結露する季節になった。朝起きるとまずは雑巾で拭き取り、しばらく窓を開け風を通すのがこれからの習慣になる。9時、朝いちばんでジム。いつものように約1時間半トレーニングして、スーパーで食料品を買い出ししてから戻る。今日はお米を炊く日なので発芽玄米と米粒麦、十六穀ごはんを水に浸し、HDD録画の予約をしてからしばしiMacG4に向かいテープ起こしをする。今日は東京国際女子マラソンの日だ。スタートして1時間ほど経過してから追っかけ再生で観ようという作戦である。
東京国際は特別なレースだ。今までにも数々の、奇跡のようなドラマが生まれた。本来ならリアルタイムで観たいところだが仕事が立て込んでいるのでそうもいかない。追っかけ再生ならCMだけでもスキップ出来るという目論みである。結果は皆さん御存知の通り。女子マラソンは、本当に驚異的な競技になってしまった──といのが僕の偽らざる感想である。野口みずきは、あの市ヶ谷から四谷見附の急坂を含んだ最後の5キロを16分56秒で走った。それは8年前、山口衛里が大会記録で優勝した際のラップをほぼ1分回っている。
正直なところ、僕は高橋尚子を上回るランナーは、もうとうぶん現れないだろうと思っていた。野口みずきという、ストライプの特徴あるユニフォームを着た小さな女の子(身長は150cm)を初めて観たのは、確か2002年3月の名古屋国際女子マラソンだったはずだ。いつも思うのだけれどスポーツというものはつくづく不思議だ。特にその競技に詳しくない者でも、あるレベルを大きく上回った選手からはとてつもない存在感のようなものを感じてしまう。例えば野球を知らない人、サッカーのルールすら知らない人でも、MLBのワールド・シリーズやW杯の決勝トーナメントを観れば、そのプレイに魅了される。名古屋国際が初マラソンだった野口にも、そんな圧倒的な輝きがあった。
僕は月に20日程度走るジョガーではあるが、マラソンのことは判らない。ジョギングと、競技としてのフルマラソンとではすべてに於いて違う。まったく別物だ。例えて言えばジョギングがこうして毎日ネットに日記を書き続けるようなものだとすれば、シリアス・ランナーによるマラソンレースは、読み始めたらハラハラどきどきしてやめられない強烈に面白い長編小説のようなものだ。だからごく普通の人でも単純に「すごい」と思う。どの選手がどれだけ素晴らしいアスリートであるのかが、理屈ではなく判ってしまう。それは98年の名古屋国際で、ヘンな腕の振り方で走る高橋尚子という若い無名の選手にもあった輝きだ。
ジョギングとマラソンとはまったく別物と書いたけれど、判る部分もある。それは、走るという行為がいつの間にか身体的なものを越え、哲学の領域へ入り込むようなところだと思う。かつてローマ、東京と2度のオリンピックを制したアベベ・ビキラは走る哲学者と呼ばれた。同じ時代の円谷幸吉や君原健二はまるで修行僧のようだった。だから、野口みずきによる「走った距離は裏切らない」という言葉は、圧倒的な力強さを以て我々の心に響く。