昨夜はフトンに入ったのが午前2時。朝いちばんにジムに行くつもりで7時に目覚ましをかけ、「5時間眠れれば楽勝楽勝♪」などと思っていたのだが、いったんは起きお風呂にも入ったもののどうしても眼が覚めず、「5分だけ」などと言いつつベッドに倒れ込むと、なんと10時まで爆睡してしまった。ふう、少し疲労が出始めているのだろうか。いよいよこれから月末にかけて〆切が立て続けにある。今月は珍しく忙しくて、それはそれでありがたいのだけれど、『猫の神様』ブログが一段落したものの息をつく暇がない。昼からはずっと原稿書き。夕方ジムに行って、戻ってきてからもまた10時過ぎまで仕事。
今日は宮崎県のお年寄りが男性長寿世界一でギネスブックに認定されたとか。僕は100歳まで生きる予定なので(笑)こういうニュースはしっかり見ますが、第一声「長寿の秘訣はお酒を飲まないことです」と言われガックリ。しかし「牛乳を飲むこと」で「おっ」と思い、「毎日欠かさず日記をつける」というので「よしっ」と思う。そう言えば91歳まで生きた母方のバアサンは、寝る前に必ず日記を付けていた。僕はお祖母ちゃん子で、この元小学校教師で明治生まれの職業婦人だったこの人が大好きだった。古い女性だから我が家に泊まりに来ても、「お風呂は最後に入る」と言って聞かなかった。そしてお風呂から上がると老眼鏡をかけ、毎晩必ず小さな手帳に小さな文字で日記を書き付けていた。
毎日日記をつけるくいだから筆まめな人だった。最後に手紙を貰ったのは1989年、僕が半年にわたってアメリカを旅していた時だ。阪大出で英語に堪能な伯父(母の兄)に聞いたのだろう、しっかり英文で表書きもしていた。文面にはこんな言葉があった。「美季くんのことだから遊びに行っているとは思いません。文章のお勉強のために外国を見て見聞を深めているのだと、お祖母ちゃんは信じています」と。心の底から驚いた。当時から僕は密かに文章を書いて生きていきたいと思っていたが、そんなことは誰にも言っていなかったし、親でさえ知らなかったはずだ。祖母は何故そう思ったのだろう? しかしその答えを聞くことは出来なかった。僕が日本に帰った翌年に、亡くなった。
ところで長寿の家系というのはきんさんぎんさんもそうだったが、やはり何処も大家族な場合が多い。「ご長寿日本一」てなニュースが流れるだびに、たくさんの孫や曾孫に囲まれ、娘さんらしき人が耳元で大声をあげ、「おじーちゃん、ちょーじゅ、の、ひ・け・つ、は何ですかぁーと、聞ぃーとられるよーっ!」という光景が繰り返される。そう、ご長寿にはたくさんの家族、幸せな老後という物語が必要不可欠なのだ。だから例えば僕が万が一幸運にも110歳とかまで生きられたとしても、〈ご長寿日本一のトーラさん、風呂場でセッケンを踏んで転び、一人暮らしの哀しい孤独死〉なんていうニュースになったら、やはりそれはマズイ気がする(涙)。