5時に起き、朝からひたすら原稿を書く。昼過ぎになってさてとゴハンでもいただきますかとTVをつけると「♪負けないで」という唄が流れていたので、ああ、欽ちゃんが24時間マラソンを走ることが決まったというニュースのバックにでも流しているんだろうな、と思っていたらあのZARDの女の子が亡くなったのだと知った。何というか、予想もしようがない出来事なのでただ驚くばかり。そう思いつつ再びiMacG4に向かい、調べ物をするためにネットを立ち上げるとポータルのexciteトップに〈松岡農水大臣首を吊って自殺〉とある。思わず「えっ」と声を出す。後の騒ぎは御存知の通り。
夕方のニュースでイシハラという都知事が「死をもって責任を」「彼も侍だった」と発言していた。イヤハヤ、もう何度も書いていて自分でも飽きてきたが、このバカさかげんはいったい何だろう? 政治家の説明責任という、今どきは小学生でも知ってる大切な概念をこの人は知らないとでも言うのだろうか。松岡という人が何故そこまで追い詰められたのかは判らないが、緑資源機構に関する疑惑があったことだけは事実だろう。それは官製談合に関わる疑いであり、つまりはたくさんの人が払った税金が誰かの懐に不当に入れられたか無駄に捨てられたかという話だ。腹を切って済む話じゃないなんてことは当たり前、以前の話だ。
政治家のやるべきことは権力を持つことでも利権を誘導することでも、ない。国民、市民に幸福をもたらすことだ。そのためには、社会正義を実現することを使命として持つことは常識以前の問題だ。と言うか、「死をもって責任を」取ることが良いことで、それが「侍」としての立派な死に方だという考えに従えば、権力者が誰かに対して「責任を取って立派に死ね」と命ずることが出来るということになる。そんな男が「愛する人を、守りたかった」というキャッチ・コピーの特攻隊映画を作っている。きっとかの戦争中もこの手のタイプの連中はいて、自分は決して死ぬことなく、誰かを殺して生きのびたのだろう。