5時起床。昨夜書き残した原稿を午前中に書き上げ、メールで送って今月の仕事はすべて終了。さてと、何をしようかと考える。まずは此処一週間の睡眠不足を解消すべく2時間弱ゆっくりと昼寝。その後数日ぶりでジムに行く。こちらも普段より時間をかけて入念にストレッチして、いつもよりマシンひとつひとつ間のインターバルを長く取ってのんびりとやる。夕陽がジムの向かいに建つマンションの壁に当たってきれいだった。これからは少しずつ夕方が長くなっていくだろう。
いったん家に戻り、着替えてから外出。23日の日記に書いたように、海外に暮らしている中学時代の友人が一時帰国しているので、仲間が集まることになった。新宿に7時。ほとんどが5、6年振り。誰もさほど老け込んではいない。皆、ごく普通の仕事だが、僕が日常接している自由業の連中よりもむしろ若い。「変わらないよなあ」と言い合う。でも、名刺を貰うと肩書きはけっこうすごい。海外青年協力隊だったMは国際協力関係の財団にいるが副主幹。営業マンのKとTは部長、一時帰国中のNは海外に展開するホテル・チェーンの取締役社長だ。
「社長と言ったってピンからキリまで色々あるんだよ」とNはつまらなそうに言うが、仲間が偉くなってると自分まで嬉しい。しばらくたわいもない話をしていて不意にそのNが言った。「人生の最後に、何処に住んで何処で死にたいかって考えないか?」と。彼はシンガポールを拠点にハワイ、サンフランシスコと海外暮らしが長いから特にそう思うのだろう。「俺は百合ヶ丘がいいな」とNは言う。僕らが出会い、10代を過ごした街だ。昭和30年代半ば、何も無かった多摩丘陵を切り崩して作られた公団と、ひな壇型の住宅地。やたら坂道と階段が多い。
今は隣の新百合ヶ丘に巨大なショッピングモールやシネコンが建ち並び栄えたおかげで、駅前はすっかり寂れている。でもその寂れ方が、僕らが学生カバンを肩からかけてたわいもない話をしながら帰った頃と何処か似ている。あの街には今も同じ風が吹いている。僕以外は全員小田急線なので、新宿の西口で別れた。ひとり中央線のドアにもたれて考えた。自分にもいつかあの街に戻ろうと思う日が来るのだろうか?