雨が窓の下にある駐輪場のトタン屋根を叩く音で眼が覚める。ブラインドを開けて見ると、真冬にはめずらしい強い雨だ。外を走るのはあきらめ、ジムでトレッドミル(ランニング・マシンですね)をやろうと用意をして玄関を出る。しかしそこですでに風交じりの激しい降りに煽られびしょびしょになってしまうほど。これでは傘を差してもジムに辿り着く前にずぶぬれになってしまうだろうとあきらめる。これは「今日くらいは身体を休めなさい」という天からの啓示だと思って、ずっと部屋にいて何もせずに一日中を部屋で過ごす。
そんなわけで何年ぶりかで4時からの『水戸黄門』再放送なんていうのまで観てしまった。この番組を観るたび死んだ父親のことを思い出す。以前
『追想特急〜lostbound express』にも書いたが、ウチの親父は悪役専門の役者だった。だから悪代官役なんかをよく演っていた。「越後屋、オマエも悪よのぉ〜」というアレである。特に東野英治郎主演の時代にはワンクールに一度は出ていたのではないか? だから親の脛を囓って大学まで出して頂いた身としては、何不自由なく育て貰った何割かは確実に黄門様のおかげだし、京都の太秦撮影所にには一生足を向けて眠れない身である。けれど、『水戸黄門』を観て親父を思い出すというのはもう少し意味が違う。
親父はこの再放送を毎日のように観ていた。趣味というものを一切持たず、息子同様人付き合いの悪い父は、仕事の無い日はいつも家でボーッとしていた。昼頃起き出してNHKのニュースを観ながら飯を食い、その後はTVの正面、ソファーの特等席に座って一日を過ごした。そして4時からはかならず『水戸黄門』の再放送を観た。この番組が好きだったのかと言えば、たぶん違うと思う。旧帝大の英文科卒、卒論はハーマン・メルヴィルの『白鯨』で、大学時代は毛沢東の長征やら革命などを主題にした左翼演劇を主宰していたという男が、あの黒澤明でさえ「通俗的過ぎる」と嫌ったこの勧善懲悪の痛快時代劇を、好んで観ていたとはどうしても思えない。
ただ、僕がまだ家を出ずまだ実家に暮らしていた頃、それは計算してみると父は40代後半だ。ちょうど今の僕と同世代である。親父は疲れていたのではないか、ふとそう思う。若い頃から家族のためだけに働き続け、そのせいか気晴らしになる趣味のひとつも持たなかった。楽しみは酒しかなかったが、出不精なので外に飲みに出かけるということはめったにない。だから家にいる時くらい、小難しい映画や流行りのTVドラマなんかは観たくなかったのだろう。『水戸黄門』のように物語のパターンがいつも同じで、最終的には必ず「めでたしめでたし」終わる時代劇が、何も頭を使わずに楽に観れていちばん良かったのかもしれない。
それにしても、親父は『水戸黄門』に自分が出演した回も観ていたのだろうか。何故か僕にはその記憶が無い。役者やタレントさんには自分の出演したものを観るのが好きな人と、一切観ない人がいるという。父はどちらだったのだろう。