8時起床。毎月最後になってしまう某社の短いAVコラムを書き上げ、午前中にメールで送り今月の仕事はすべて終了。少し休もうとお昼を食べる前に少し横になってみるが、皮肉なことに原稿を書いているうちは眠くて眠くて仕方なかったのが、急に眼が冴えてしまう。仕方なく起き出してまずは溜まった新聞紙の整理。気になる記事だけ取っておいて、不要なのはは丁寧に畳んで新聞ボックスへ入れる。こうしとておかないとあとで資源ゴミに出す時に上手く紙ヒモで縛れない。
それから、飲み終わった紙パックを洗う。僕は一日に野菜ジュースを500ml、牛乳を2/3リットルくらい飲むのですぐに溜まってしまう。中に水を入れごしょごしょと洗い、ハサミで一枚の紙に開いて、今度は洗剤をつけたスポンジで洗う。これを乾かすとリサイクルに出せる。僕はこうしてネットに文章を書いているけれど、やはりお金になるのは紙に印刷されたものだ。だから何となく紙や木は大切にしたと思う。それはエコロジーとかロハスというような高尚な思想ではなく、単にもったいないのだ。要はビンボー症なんですね。
ただ、亡くなった編集者の安原顯氏が確か「出版社は出した本の数だけ木を植えることにしたら良いのではないか?」と書いておられた記憶がある。それに沿って言えば、物書きは自分が書いた紙のぶんだけリサイクルに精を出すというのは悪くないかもしれない。動物人類学者の今西錦司は、環境とは生物の延長線上にあるものだと書いている。大抵の生物は学習することなしに自然の中に食べ物と毒とを区別する。また、餌になるものと天敵となる種を意識するからだ。つまり環境とは生物の一部なのだ。逆に言うと、我々の体内には食べるということを通して多くの自然物質が入り込んでいるわけだから、我々生物が環境の一部だとも言えるわけだ。
僕は「もったいない」と思う感情は、自分が環境と繋がっている証拠なのだと思う。かつて原子力発電に関する論議があった時、「そう言うあなたは明日から電気の無い不便な生活になっても良いのですか?」という問いかけがあった。でもそういう問題じゃない。自分という環境の延長線上に、原子力なんていう不浄なモノが存在するのが嫌なのだ。