7時起床。少し寒い。上は半袖Tシャツだが、下はスパッツを穿いてjogに出る。少し長めに120分。戻り、いつものように朝刊をひろげてストレッチする。新聞は後ろから、つまりTV欄から見る。続いてそのページをめくり、社会面の下の方に何気なく眼をやり思わず「えっ」と声を出した。まさか朝日新聞の死亡記事で友達の訃報を知るとは思わなかった。「永沢光雄さん(ながさわ・みつお=作家)」とある。「嘘だろ」と言ってる自分がいる。死因は肝障害。「シャレにも何にもならないぜ、ミッチャン」と、今度は声に出さずに言った。アンタは死なないんじゃなかったのか、アンタは不死身だったんじゃないのかよ、と。
あれは湾岸戦争で米国がイラクの空爆を始めた頃だからたぶん91年の冬だ。永沢光雄がサウナの浴室で足を滑らせ頭を強打し意識不明になったことがあった。翌日の夕方からボクシングの試合を取材することになっていたそうだ。丸二日間眠り続けた彼はむっくりと起き上がったてすぐ、隣のベッドに寝ている人に「今、何時ですか?」と訊いた。そして「もうすぐ6時になりますよ」と言われると「ヤベ、取材に遅刻する!」と病室を飛び出して行こうとしたらしい。そこに意識が戻ったと聞いた医者が飛び込んで来て、「あなた正気ですか、48時間意識が戻らなかったんですよ」と止めた。
その話を聞いて、僕らかつての白夜書房の仲間達は腹を抱えてゲラゲラ笑った。そして言い合ったものだった。「人間てのはそう簡単に死なないもんだな」と。だけどその翌日、やはり同じ仲間のひとり、デザイナーのMが風邪をこじらせて死んだ。熱をおし、咳をしながらも徹夜で装幀を進めていた朝に倒れ、風邪の菌が延髄に入り込んでしまったのだ。永沢光雄と比べても、決して見劣りしない才能の持ち主だった。その時僕は思った。世の中には二種類の人間がいる。死ぬヤツと死なないヤツだ。
だから彼が下咽頭ガンになった時も僕は何も心配しなかった。久しぶりに再会したのは2003年の夏だった。やはり古い仲間のひとり、元祖巨乳女優の中村京子ちゃんが経営するゴールデン街のお店「中村酒店」の一周年記念のパーティだった。永沢くんは声帯を切除し声を失っていたが、元気で上機嫌にちびちびと酒を口に運んでいた。たまたま隣に座ったので「ミッチャン、あんたは絶対に戻って来るって信じてたよ」、そう言うと彼は昔と同じように少し唇をすぼめるようにして、出ない声で「うおっ、ほっ、ほっ」と笑った。
以前
この日記にも書いたけれど、僕はずっと彼を羨ましいと思っていた。同じようなテーマで本を書いたのに、向こうはベストセラー作家でこっちは売れないライターだからだ。でもそのぶん、目標でもあった。彼のようにたくさん原稿を書いて、たくさん本を出したいと思っていた。いつか肩を並べたいと思っていた。
それにしても、こういう時の気持ちはいつも同じだ。どうしよう──、と、いてもたってもいなれなくなり、でも、何をどうしても、もう何も変わらないのだとあきらめるしかない。今自分に出来ることは何だろうと考える。何も、無い。お通夜は明後日と朝日新聞にある。永沢光雄と言えば酒と切り離すことは出来ない。出かけていって最後の杯を交わしてこよう。