7時起床。昨日書き上げた原稿を読み直しざっと手を入れてからメールで送る。それが午前10時少し前。日記をアップしてスーパーへ買い出し。外は気持ちの良い秋晴れ。Gジャンを着て出たのだがTシャツ一枚でも充分なほど。戻って昼食をとり、さて走りに出ようかと思っていたのだけれど、午後からの仕事のことを考えて自粛する。30分ほど仮眠をしてからはひたすら仕事。合計14本のAVレビューを書く。内容の方はすべて観てメモを取ってあるし一本一本はとても短いものなのだが、さすがにこれだけの量を一気に書くとアタマがモーローとなって来る。
一般誌に書いている人などはあまりないかもしれないが、僕らのようなAVライターの場合、キャッチコピーやリード(いわゆる見出し文)、時にはキャプション(写真に付ける説明文)まですべてお願いしますと言われる場合がある。今日やっていた仕事はそうで、15とか20とかの決められた文字数のキャッチを付けていくワケだが、これが集中してくるとアタマの中に15文字のリズムのようなモノが出来上がっていく。そうすると何気なく書いた一文がピッタリと15文字に収まっていくから不思議だ。
何度も書いているけれど、僕は30代の前半くらいまでマイナーな雑誌の編集をしていた。その当時はもう、本当に膨大なキャッチやキャプション、またはネームと呼ばれる短い文章を書いた。その頃はパソコンで行うデスクトップ・パブリッシングなどもちろん無い時代だから、本文以外はすべて先割り──写真等の配置を優先して、細かい文章の文字数はデザイナーに任せてしまう──にしてしまうから、入稿前にはそれらのレイアウトがどっと上がって来て、ひっきり無しに文字を埋めていく作業に追われる。
今はこうして毎日飽きもせず日記を書いていて、それもひと月ぶんだとだいたい40,000字くらいになるのだが、そんなモノとは比べものにならないまさに天文学的な文字数を書いていたはずだ。若い頃は、そんな文章は右から左へと流されただ消費され消えていくものだと思っていた。ただ最近は、そのように書き飛ばして来た文字こそが、実は今の自分を作っている、いや、自分とはそんな消えていった文字達が作り上げたものではないか、そんなふうに思うようになった。
そう考えると、自分とはひたすら文字の流れていく水路のようなものだ。だから流れる水はいつも多く豊かで、ひたすら澄み切っていてくれたらと思う。まあ、なかなかそう上手くはいかないのだけれど。