東京は今日も暗い曇り空。時々パラパラと思い出したように雨が落ちるという天気だった。しかし九州では未だ豪雨が続いていて、TVでは家屋が氾濫した河川の濁流に呑まれて、まるでスローモーションのように流されていく場面が流れた。不謹慎な言い方だが、僕らと同世代の人の多くの頭にはあの瞬間ジャニス・イアンの「ウィル・ユー・ダンス」が流れたのではないだろうか?
「ウィル・ユー・ダンス」は、1977年に放映された山田太一脚本のTVドラマ『岸辺のアルバム』の主題歌だ。これはその3年前74年に台風16号による決壊で東京狛江市の家屋19棟が流された災害がありそれを元に作られている。それら家々が濁流に呑まれるシーンはニュースで繰り返し流され、ドラマでも使用された。僕は子供の頃、狛江の対岸である川崎側に住んでいたので決して他人事には思えなかった。
他人事と言えば、『岸辺のアルバム』が放映されたのは77年秋。僕は高校三年で受験前だ。ドラマでは主役の国広富之がひとつ年上で浪人生という設定だったこともあり、実にリアルに身につまされる内容だった。物語のテーマは山田太一が70年代、『それぞれの秋』『もうひとつの春』から引き続き追求していた“家族の崩壊”といったものだ。
川辺に建てられた一見幸せなマイホーム。しかし杉浦直樹演じる商社マンの父親は、接待のために東南アジア女性の売春を斡旋していて、八千草薫の母は密かに不倫をしている。主人公から見ると優秀で非の打ち所の無い姉・中田喜子は日本人の男をバカにしきっていてアメリカ人の青年と付き合っているが、その男は内心アジアの女性を見下していて、友人に彼女を金で売ってレイプさせてしまう。それら家族の内なる崩壊が顕わになった時、幸せの象徴であった「家」自体が台風で流され消滅してしまうという、何とも見事なシナリオであった。
結局のところ山田太一が言いたかったのは、近代化の行き詰まりであり性急な西欧化が生んだ矛盾であり、旧来の家族の在り方の終焉であった。それを高度経済成長の裏側で立ち遅れた治水事業による災害になぞらえたのだ。しかし実は30年近く経った今でもそれはあまり変わっていないのではないか。ドメスティック・バイオレンスやネグレクト(育児放棄)という問題はすべて、「家」や「地域」がかつてのように機能しなくなったことに起因している。
「家」も「地域」も「学校」も、すでにもう長い間、現代というものとそぐわず機能しなくなって久しい。しかしいつの世も経済性というものが何より優先される社会では、それらは常に置いてけぼりを喰う。ジャクソン・ブラウンは『レイト・フォー・ザ・スカイ』所収の「ビフォー・ザ・デリュージ〈大洪水の前に〉」という唄の中で、「かつて若さゆえの勇敢さと狂気で雨の中を羽ばたいた翼は、今は疲れ切って見る影もない」と唄っている。