一日中しとしとと雨が降り続く。やまない雨は無いというが、ここまで降り続くとこの雨だけは本当にやまないのではないか、という気がしてくる。雨が降り止まなくなってしまったら? というIF物のSF小説はいくつかある。椎名誠の『アドバード』なんかも確かそうだったはずだ。やまない雨はない、つまり論理的にそんなことが成り立つはずはないのだけれど、尚かつそう言った物語が成立するということは、我々の深層心理がそういった不条理を内包しているからだ。不条理、それは生と死、時間、宇宙の果て、世界の終わり、と言ったようなものだ。生物学的に、論理学的に物理学的に、それらは立証はされるのだけれど、我々は肌で感じて理解することは出来ない。例えば人間は「死」というものを知り尽くしているはずなのに、決して自分自身の「死」を経験することは出来ない。だから「実存」とか「存在論」とかいう考え方が生まれたのだろう──。
なんていうことをやまない雨の音を聴きつつ考えました。夜までに何とか原稿を書き上げる。先週中という約束だったのに週明けになってしまった。ところでクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)に『フール・ストップ・ザ・レイン〈Who'll Stop The Rain〉』という曲がある。ここでの雨とはベトナム戦争でかの地に降りそそいだナパーム弾のことだそうです。CCR、聴きたくなったな。