7時起床。起き出して風呂に入る前に、押入の衣装ケースを引っ張り出す。今日から半袖のTシャツにしようと決めていた。昨年の秋にかなり処分したつもりでいたのだが、普段着れるものは7、8枚あった。最近買ったものが4枚。これで、この夏は乗り切れるだろう。長袖のTシャツも、まだ夜に冷え込む日があるかもしれないので暫定的にしまい込まず、しばらくは寝室の洋服タンスに入れておくことにする。
毎年思うのだけど、夏物のTシャツというものはとても儚い。そう何年も着られない。いやまずその前に、「うん、コレ」というモノになかなか出会えない。デザインというものもあるのだが、SとかMとか言ってもサイズがまちまちで自分にフィットするのを探すのが難しい。これはまあ、僕がユニクロとかジーンズメイトで1,000円くらいのばかり買っているからで、ちゃんとブランドを決めていればそんなことはないのかもしれないけれど。
丈や袖の長さも色々と違う。僕は丈も袖も短めが好きなのだけど、それもなかなか上手くいかない。Tシャツは試着出来ないから、店頭で手にとっていいなと思っても、いざ着てみると「ちょっと違うなあ」というのもある。直接肌に着るものだから、手触り肌触りも大切な要素だ。大抵の場合コットン100%しか買わないけれど、不思議なことに千差万別違う。それに、洗濯するごとに馴染んでくれるものもあればそうでないものもある。
まるで人間みたいだ。僕は常々思うのだけど、人が一生で心の底から好きになれる人って、本当に少ないのではないか? 話をヘテロセクシャルに限定してしまって恐縮なのだが──僕は女性しか好きになれないので──男が身も心も愛せる女なんて、出会えてせいぜい5人くらいという気がする。その上である程度の時間、5年、10年と愛し合えるとなると、その数はさらに絶望的に少なくなりそうだ。
ひと夏の恋、という言葉があるけれど、半袖のTシャツも本当に気に入って着ることができるのはせいぜい2シーズン程度だろうか。もちろん首まわりがゆわゆわになってしまっても、部屋の中で普段着にパジャマ代わりに着るということは出来る。しかしそこにはもう、あのまばゆいばかりの夏の光はもうない。あるのは釣瓶落としのように暮れていく秋の陽の中にある、切ない夏の残像だけだ。