眼が覚めるとまだ暗い。起きてしまおうかな、と思って時計を見るとまだ4時前だった。夏場ならそのまま起き出して走るのだが、僕は夜明け前というのが妙に苦手だ。そこには狂気がひそんでいるような気がする。
もう二年くらい前になると思うけれど、ちょうど今頃の時期、やはり4時頃に起きてしまったので風呂に入り、ストレッチして5時過ぎから走り始めた。1時間ほど走って身体も充分あったまり夜も白々と明けてきた頃、公園のトイレに入ろうとすると女子トイレの方にブラジャーとパンティをつけた男が立っているのが見えた。ごていねいにロングヘアーのカツラまでかぶっていたが明らかに男だった。何故なら、身長が190センチ近く、体重は軽く見積もっても100キロ以上はありそうな巨漢だったからだ。
こんなこともあった。やはり今の季節の明け方頃、薄暗い木立の中の冬枯れた芝生の上に背中を向けて正座している若い女性がいた。体調に異変を起こしたのか、それとも何かトラブルに見舞われたのかと思い、mp3プレーヤのヘッドホンを外して近づいていくと、ぶつぶつと切れ目なく意味不明の言葉を呟き続けていたのであわてて逃げた。
二人とも幸いにしてこちらを振り向かなかった。眼が合っていたら、そう思うとゾッとする。夜は明ける前がいちばん暗いという。そこには狂気や怨念のようなものが最も濃く充満しているような気がする。
去年読んだ村上春樹さんの『アフターダーク』という小説はまさにそんな作品だった。少しずつ狂い始めた何かは夜がふけると共に次第に澱のように溜まっていき、夜明け前に狂気として濃縮され、呪いのように誰かに襲いかかる。夜明けが来て新しい希望は生まれるものの、狂気は決して消え去るわけではなく、陽の光に隠れてまたひそかに夜を待ち続けるだけだ。
昔、AV監督の豊田薫が僕に「俺は夜中が好きなんだよ」と言ったことがある。「人が皆寝静まって静まりかえった中、俺だけが起きて活動している。そんな感じが好きなんだな」と。豊田は狂気というものを良く知ってる作家だと思う。だから彼の作品には常に普通の人間の思考からガクンと逸脱してしまったような凄味がある。
作家や表現者には、狂気や怨念のようなものをあたかも「悪魔払い師」のように飲み込んで、その恐ろしい姿のまま表現する才能が必要だ。ジャーナリストや批評家や学者には決して出来ないことだ。ジャーナリストは戦争を伝えることは出来てもその裏側にひそむ狂気や呪いを表現することは出来ないし、また、そういう仕事でもない。学者や批評家も同じだ。狂気や呪いや怨念は、ひとたび言葉にしてしまうと、それはその先からまるで「ぬえ」のようにおぞましく姿を変えてしまうからだ。
ところで、そんな僕がAV監督の第一人者だと信じて疑わない豊田薫さんが臨月の女性のセックスから自宅分娩までを撮った、その名も
『臨月美女のSEX・出産』という作品が素晴らしいです。題材が題材なので狂気はひかえめですが(笑)そのぶん命というもののリアルな感動がそこにはあります。