夜明けから眼は覚めていたいたもののぐずぐすと起き上がれないでいた。まだ精神の何処かに暗さが残っているのかもしれない。ウトウトしていたらドアホンが鳴ってハッと飛び起きる。もう11時だ。イヤハヤ(涙)。出てみるとダスキンのオバサン。フローリング用の化学モップと換気扇のフィルター、浄水器をお願いしている。外は雨がしとしとと降っている。「この雨で桜も見納めになりそうですね」とオバサンはニッコリと言う。
オバサン、と言ってもおそらく僕と同世代。可愛い感じの人です。この場合の「オバサン」とは旅館の仲居さんをどんなに大ベテランでも「お姉さん」と呼ぶのと同じ。「オバサン」は「ダスキン」と「ヤクルト」の枕詞なんである。これでいいのだ、青島幸男が国会で決めたのだ、賛成の反対(?)。閑話休題。で、この人とは此処に引っ越して以来の付き合いだからもう4年だ。素人っぽい、というか、営業営業してないところが僕は好き。「トーラ様はお一人暮らしだから、二枚一組の換気扇のフィルターはひと月一枚ずつの交換になさったら」なんて奨めてくれる。
聞いたワケじゃないけど想像するに、お子さんが中学生とか高校生になって手が離れたもんだから「私も働いてみようかな」とパートに出たんではないか? きっと御苦労も多いだろう。日中一生懸命働いて、夕方からは御主人やお子さんのために晩ゴハンを作るのだろう。早起きして家族を送り出し、仕事に出る前に家の掃除は済ましてしまうのかもしれない。そんな人が雨の中働いているのだ。昼前まで惰眠をむさぼったうえに鬱だとか精神がクライとか言ってちゃイカンよなと思う。反省する。
9日の日記に「10年後が不安だ」というようなことを書いたら、ちょうど10才年上の出版関係の方から「先のことはくよくよ考えず好き勝手に生きましょう、私はそうしてきましたよ」という旨のお便りを頂きホッとした。コラムニストの勝谷誠彦さんもご自身のweb日記の中で触れてくださいました(いつもありがとうございます!)。昨日は昨日で「ネコ達は家につかずオレについて来てくれるかな?」と書いたら、いつもお便りをくださる西宮のKさんが「私は前の家で亡くしたネコがいますが、いまでも近くにいてくれると感じるから大丈夫ですよ」とメールしてくれた。
その9日の日記にも書いた
『ウェブ進化論』(ちくま新書・梅田望夫著)という本の中に、「オープンソースとしてのブログ」というような表現があった。オープンソースとはあるソフトウェアのプログラムをネット上に無償で公開し、世界中の不特定多数の開発者が自由に、一切の報酬ナシにそのソフトウェア開発に参加するということだ。OSのリナックス(Linux)はそのように企業体とか研究室とかとはまったく無縁に作られたんだそうだ。つまりLinuxを開発する上で誰一人報酬は得られなかったけれど、結果多くの人がLinuxを無料で使えることになりすべての人が多くの利益を得たことになる。
そして「オープンソースとしてのブログ」とは、確かにこうやってウェブにこしょこしょと毎日文章を書き連ねても一銭のお金にもならない。しかしこうやってたくさんの方からメールを頂く、リンクして貰う、トラックバックして貰うということで、得られるモノはとてつもなく大きいということだ。雑誌その他に文章を書いて、その対価として原稿料を貰うというシステムはもちろんアリなのだけど、それとは別に新しい文章の在り方というモノが生まれつつあるんのかなあ、なんてコトを考えました。
メールをくださった10才年上の方は「58年も生きていると、奥山貴宏さんに『長生きだなあ、もう充分でしょ』と言われそうですね」と書かれていた。そう、10年どころか、2作目の小説の構想を得ていた彼はあと一年、いや半年、それとも三ヶ月でもひと月でも時間が欲しかっただろう。それを考えれば、何にでも頑張れそうな気がしてくる。もうすぐ、奥山さんの命日が来る。