5時起床。6時半からjogに出る。ランニングに関する手引き書などを読むと、「フルマラソン等を走った翌日はどんなに筋肉痛で脚が痛くても、ゆっくりで良いから少し走るようにしましょう」と必ず書いてある。走らないと疲労した筋肉がかたまってしまうからだ。それと、確か増田明美さんが書かれた文章だったような気がするけれど、「レース翌日、暖かいウェアでゆっくりジョギングするのは、まるでお風呂の中で脚をマッサージされているような気持ちよさ」というような表現もあった。というワケで昨日の長い長い自転車こぎの翌日なのでゆっくりゆっくり走る。筋肉内のグリコーゲンは使い切っているから脚は前に出ないものの、そのほぐされていく感覚はやはり心地良い。
TVのニュースは民主党の党首が小沢さんになるかどうかという話題で持ちきりだが、例の男児投げ落とし殺人事件のその後もある。実は昨日、あの現場になったマンションを近くから見た。多摩川べりでお弁当を食べたと書いたけれど、中年のオジサンが外でひとり弁当を食うというのはけっこうビミョーなプロブレムであります。下手をするとビンボ臭く見えて、「あらあら、あの人リストラされたのに奥さんに言い出せないんだわ」「だからこんなトコでわびしくお弁当食べてるのね」と思われてしまうからだ(涙)。
ということで出来るだけ自然に見えて、あまり人気も無く景色の良いところ。「そうかそうか、あの人はああやって綺麗な景色を眺めながら優雅にお弁当を食べているんだなあ、めでたしめでたし」と、思われるような場所を探していたワケです。そこでフト、対岸にあの特徴のある15階建マンションを見つけた。そもそもあの容疑者が住んでいた場所というのは僕の実家から徒歩にしておそらく30分もかからない場所だ。彼は失職して精神を病み病院に入り、退院してからは昨日の僕と同様昼日中ふらふらとうろついていたそうだ。そして、あのマンションに異様に執着していたという話もある。
何となく、わかるような気もする。皆さんは、どうしようもなくある建物に惹かれてしまった経験ありませんか? 僕にはあります。あの、安藤忠雄さんが設計した「六甲の集合住宅」。その写真を初めて見た時、自分でも決して覗き見ることの出来ない心の奥の奥をわしづかみにされ揺すられたような気がした。その時の感覚を言葉にするのはとても難しい。強いて言えば、俺は此処に確かに住んでいたことがある、というような。
それは前世というような言葉にしてしまうとあまりにも陳腐で嘘くさくなってしまうけれど、かつてあの打ちっ放しのコンクリートに触れ、その冷たさが今でも手のひらに残っているような。確かにあの建物内に佇んで、薄暗い部屋の中から六月の雨を眺めた記憶がある──、そんな感覚。それがいつなのかと言えば昔々の遥か彼方。自分の魂が死んで生まれて生まれて死んで、そこまで昔になってしまうともう僕ら人間にとっては過去なのか未来なのかもわからないところ。
建造物というものには何故か、そういった人を理不尽に惹き付けるものがあるような気がする。わかりやすい例で言えばかつて香港にあった
九龍城砦とか、フランスにある
シュヴァルの理想宮とか。そこは我々がかつて別の人間であった頃の自分の魂が今でも潜んでいて、我々がいつか訪れるのじっと息を殺して待ち続けている。あの元美容師でカーテン販売をしていた男は、そんなもうひとりの彼に誘い込まれてしまったのではないか。だってあの防犯カメラに写った男は、どう見ても生きている人間には見えない。