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『ボブ・ディラン〜ノー・ディレクション・ホーム』を観に行く。最初からそのつもりだったわけではなく、昨日ゴールドちゃんから借りたギターのスタンドが必要になった。近所の楽器屋で安いのを買っても良かったのだが、何せ大切な借り物だからショボいギタースタンドで倒して傷をつけたりしたらマズイ。なので吉祥寺まで出ようかなと考えた時、そうだ何せ音楽映画なのだから吉祥寺バウスシアターにかかってるのではないかと思って調べてみたらやっぱりそうだった。
バウスシアターの隣にはジーンズメイトもある。普段穿きのリーヴァイス501もお尻の所がもうヤバイってくらい擦り切れて来たし、ちょうどバーゲン時期だし新しいのを一本仕入れてこよう、ついでにパルコの地下のリブロに行って本も買ってなどとすっかり休日気分で出かけていったワケです。 最近流行りの全館入れ替え制なので2時間前に行ってまずはチケット購入。2,000円也。次に隣のジーンズメイトにいってWranglerの29インチ・レギュラーカットを購入。久しぶりにリーヴァィスから浮気してしまったのは、4,200円セール価格もあったのだが、ユーズド風の色落ち加減が実に心地良く惹かれたのと、ジッパー部分の縫製がこれぞ作業着という感じのがっつり感で一目惚れしてしまった。今年はこのジーンズと共に生きていこう。後は楽器屋や本屋をのんびりと覗いて時間をつぶす。 さて『ノー・ディレクション・ホーム』ですが言うまでもなくマーチン・スコセッシ監督によるボブ・ディランのドキュメンタリー映画。ミネソタ州ヒビングの少年時代からヴィレッジでのコーヒーハウスシンガー時代、そしてフォークのプリンスからエレクトリック化までの時期に焦点が当てられている。途中10分の休憩入りで全編3時間半。個人的には休憩の入る映画は81年ウォーレン・ビーティの『レッズ』以来だと思う。 ボブ・ディラン本人とその他ゆかりの人々へのインタビュー、そして当時の映像がふんだんに使われるのだが、これがまあ、本当にスゴイ。63年から66年のニューポート・フォーク・フェスティバルの記録映画『Festival』、そして何より66年のヨーロッパツアーを『ドント・ルック・バック』や『モンタレー・ポップ・フェスティバル』等で知られるドキュメント映画作家D・A・ペネベイガーが撮り、ディランとロビー・ロバートスンが編集したもののほとんど陽の眼をみることのなかった『Eat The Document』のライヴシーンがふんだんに使われている。 『Festival』はかつてWOWWOWで放送されたことがあるという話だが、『Eat The Document』は質の悪いブートレッグテープが出回ってるだけ。相当のマニア以外はほとんどの人が初めて眼にする映像ではないだろうか。何しろ長年「マンチェスター・テープ」と呼ばれ98年になって『ロイヤル・アルバート・ホール』として初めて正規リリースされたものに実は動いてる映像であるなんて。あの、観客に「ユダ!」と野次られたディランが「お前なんか信じない、嘘つきめ」とマイクに向かって言うシーンまでしっかり入ってる。鳥肌が立った! ああ、生きてて良かった(涙)。 スコセッシのインタビューに答える人達もそうそうたる顔ぶれ。相変わらず稟として美しいジョーン・バエズにすっかり脂っ気の抜けたボビー・ニューワース、亡くなる直前だろうかひどく痩せたアレン・ギンズバーグ。アル・クーパーやピート・シーガー等のミュージシャンはもちろん、デイヴ・ヴァン・ロック、ジョン・コーエンと言ったヴィレッジ時代の仲間はまあ出てくるんだろうなと思っていたのだが、スーズ・ロトロがインタビューに登場した時は少しびっくりした。 ファンには説明不要だけど、あのセカンドアルバム『フリーフォイーリン』のジャケットで雪の降り積むヴィレッジをボブ・ディランと肩を寄せ合って歩いている女性。その直後、彼女は彼を残してスペインに行ってしまい、ボブ・ディランはスーズを想って「スペイン革のブーツ」という曲を作る。もう60才近いはずたけどむちゃくちゃに綺麗で魅力的な人だった。それにしても絶世の美女と言われたサラ・ディラン(旧姓・ラウンズ)にしろジョーン・バエズにしろ、ボブ・ディランはキレイな女性にモテるよなあ。まあ、どうでもいいケド、ぶつぶつ。 ラスト近く、おそらくD・A・ペネベイガー自身が撮ったのだろう、「ジョアンナのヴィジョン」を唄うボブ・ディランのアップが延々と映される場面がある。それはまるでカメラが撮っているというより、カメラの方がボブ・ディランというパフォーマーの存在に魅入られて眼が離せなくなってしまったかのようだ。そこには単に一人の人間がいるだけではなく、その場にいる人、そして約40年後にそれを観ている我々までもが無意識に共有している美しい何かが、結晶となってキラキラ降り注いでいるように見える。 プロデューサーのボブ・ジョンストンが『追憶のハイウェイ61』のセッションについて、「あれはボブが作ったんじゃない。神が舞い降りてボブに唄わせたんだ」とインタビューで語るシーンがある。他にも確かピーター・ヤーロウだったか、「ボブにはユングの言う集団無意識のようなものがある」と言っていた。 ボブ・ディランはそのようなアーティストだ。天才は自分のアタマの中にある音楽や唄なんか信じない。我々全世界の人間が霧のようにかすかだが確実に感じていて、それていて決して手で掴めないモノ、それを巫女のように司祭のようにシャーマンのように掴んで描き人々に提示出来る人だ。 ボブ・ディランは言っている。「詩は作るものではなく、そこに存在し漂っているものだ。僕はそれを掴まえてタイプライターでただ書き写すだけ」。『ノー・ディレクション・ホーム』、何ごとにも代え難い最高の210分でした。
by tohramiki
| 2006-01-07 21:13
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