一昨日の続き。大森一樹監督初の商業映画『オレンジロード急行』の公開を記念して、自主映画時代の作品が上映された。おそらく『ぴあ』で読んで知ったのだろう。大学に入って初めて出来た友人、島根出身のHと「行ってみようか」ということになった。調べてみると『オレンジロード急行』の公開は1978年4月29日のことだから、まさに僕らが知り合ったばかりの頃だ。場所は芳林堂書店高田馬場店の5階にあった小さなイベントスペースだった。上映されたのは『明日に向かって走れない!』(1972年)、『死ぬにはまにあわない!』(1974年)、『暗くなるまで待てない!』(1975年)の3本だったと思う。そして上映後、森田童子のミニコンサートがあったのだ。『オレンジロード急行』の挿入歌として、名曲
「さよならぼくのともだち」が使われていたからだ。イベントスペースといってもバイブ椅子を並べただけの空間、キャパは30名ほどだっただろうか。そんな中で森田童子を観られたというのは、今思うと奇跡のような幸運だったと思う。
アコースティックのリードギターを弾く男性と彼女のギター・ヴォーカルのみという編成。漆黒のサングラスにカーリーヘアで、「みなさん、こんにちは」といったような普通のMCは一切なく、歌詞と同様「ぼく」という一人称による語りのような、詩のような言葉をあの少し舌っ足らずで印象的な声で呟き、「ぼくたちの失敗」「まぶしい夏」「雨のクロール」「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」と、心に染みる曲を淡々と唄っていった。僕とHは感動し「森田童子、観られてよかったよなあ」と何度も言い合って帰った。そのHはやがて大学に来なくなり、日本中を放浪し続いてインドに数カ月滞在。久しぶりにキャンパスに姿を現したとき、「俺、もうここにいる必要がないとわかったよ」と退学していった。
※写真は数日前の朝。逆光の空と雲。data:iPhone12Pro 1 × #Instagram #MOLDIV #ORIGINAL