Cさんちの「くるり」ちゃんが亡くなった。Cさんとは2007年新潮社から『猫の神様』という本を出した際、版元のサイトで「猫の神様ブログ」というものを開設し、愛猫さんたちの写真を募集したときに知り合った。その後メールのやりとりをするようになり、昨年からはフェイスブックでも繋がった。くるりちゃんはアメリカンショートヘアの男の子で14才。高齢ということもあり、昨年暮れから肺に水が溜まるようになり、そのたびに入院して水を抜くようになっていた。それでも何とか頑張っているようだったが、4月9日夕方、予想もしない出来事が起きる。お見舞いにいったCさんが動物病院を出て、車のある駐車場への横断歩道を歩いて渡っていたとき、オートバイにはねられたのだ。
気がつくと医大付属病院のベッドの上だったという。その間の記憶はまったくない。彼女は左腕と左座骨を骨折していた。くるりちゃんのことが死ぬほど心配だが、早急に手術が必要なので病院から動けない。近所に住むお兄さんに見に行ってもらったところ「ずいぶん弱っていた」と言われた。その心中は察するに余り有る。そして今日の午前中、メールが届いた。<早朝くるりが虹の橋に逝ってしまいました。入院中の私は何もしてあげられなかった…辛いです。>と。繰り返すけれど彼女はちゃんと横断歩道を渡っていたのだ。何の罪もない。なのに最愛の家族の最期を看取れなかった。一緒にいてあげられなかった。神様はなんと酷な仕打ちをするのだろう? そうやり切れない気持ちになったとき、ふと「待てよ」と思った。Cさんは一時意識不明になるほどの大事故に遭ったのだ。目撃者によると、3メートルも身体が飛ばされたそうだ。死んでいてもまったく不思議ではない。
そう、くるりちゃんが自分の残り少ない命を差し出して、Cさんを助けたのではないか。何しろ彼女はバイクに激突され飛ばされた際、頭も打っていたという。にもかかわらず、検査すると脳には異常がなかったそうだ。こういうことを書くと「偶然だよ」と言う人がいるだろう。反論はしない。けれど、猫と暮らした者ならわかる。彼らは飼い主のためなら、自分の命を差し出すくらい平然とやってのける。恩と義理と受けた愛情を返すためなら、死すら恐れない気高く誇り高い種族なのだ。いや、彼らにとっては「生」や「死」なんてものすら、あまり重要ではないのかもしれない。なぜなら多くの猫が生まれる前から飼い主に出会うことを知っていて、死して尚、永遠に寄り添い見守り続けてくれるだからだ。
※写真は昨日、花曇りの空の下で撮影。くるりちゃんへの葬送の桜を。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #ENCIEL