今日は天皇誕生日。陛下の会見が各番組で伝えられた。「ハフポスト」に
<天皇陛下、平成最後の誕生日会見で涙をこらえて語ったこととは?(全文)>という記事も出ている。毎週観ているTBSの『サンデーモーニング』、最後の「風をよむ」のコーナーは「象徴としての天皇」というテーマだった。その中で政治学者・姜尚中さんが述べられたことがとても腑に落ちたので、自分への備忘録として書き起こしてみた。以下、僕なりに言葉を補完した部分もあります。<「天皇」というものを考えるとき、言わば「天皇機関説」以来の、「国家機関」としての地位と、もうひとつ「象徴」としての地位があると思います。それに関して言えば昭和の時代、特に戦後は曖昧にして何とか乗り切った感がある。たとえばもしも天皇が国家機関だったとしたら、それは言わば公務員のようなものになるわけです。公務員であれば、判子を押して祈るだけでいいということになる。これが戦後の「天皇機関説」を受け継いだ、
宮澤俊義(法学者、美濃部達吉の弟子)さんの考え方です。だから出来うる限り天皇を政治にコミットさせないようにしようと、これには右にも左にも(右翼も左翼も)、ある程度のコンセンサスがあったと思う。天皇には限られた国事行為だけをやっていて頂きたいと。しかし「そうではない」ということを明確にされたのが、平成の今上天皇ではないか。>
<では「象徴」とは何か? 災害時に慰問をしたり、かつての戦地に慰霊をしたりする。これらが象徴的行為であるかというと、憲法には何も明文化されないわけです。だから「象徴」であり続けるためには、国民への絶えざる統合作用を遂行していかなければならない。だからこれは「摂政」を置いて出来るような仕事ではありませんよということをおっしゃったのが、平成28年8月4日のビデオメッセージだったのだと思う。じゃあ改めて「象徴」とは何かというと、それは日本国民が目指すべき理念を指しているのではないか? その理念とは「平和」ということになると思う。昭和21年の元旦、学習院の初等6年生のときに、今上天皇は書き初めをしている。何と書かかれたかというと「平和国家建設」と書かれた。これはアメリカの公文書でも発見されています。従って日本国民が目指すべき理念の象徴とは何かというと、「平和を実現しましょう」ということになる。つまり天皇とは、平和国家の象徴ではないか? それに尽きると思います。>
もうひとつ、元外務相職員で首相補佐官、内閣官房参与も務めた岡本行夫さんの発言。<(今上)天皇はとても辛い立場にあったと思う。そもそもポツダム宣言が出て日本の負け戦が決まっていたにも関わらず、軍部は連合国に対して国体護持、つまり「天皇制の維持を保障してくれるのか?」と訝るあまり回答を伸ばしているうちに、広島、長崎に原爆が投下された。そして戦後は一億総懺悔ということで、軍部だけではなくて国民も全員悪いんだと、政府が言わば市民に刷込みを行ったわけです。結局、我々は自分自身の手で戦争犯罪者たちを裁くこともなく、衆議院も参議院も戦犯赦免決議といものまで出してる。そういった中で天皇はやはりご自分で背負ってきた「日本の業」というものを忘れてはいけないと、その想いで(あのご高齢に関わらず)皇后さまとお二人で慰霊の旅を続けておられる。これには本当に頭が下がる。> すぐに削除されてしまうかもしれないが、
本日の『サンデーモーニング』は(←コチラ)YouTubeにアップされています。最後の「風をよむ」のコーナーは1:32:40くらいから。
※写真は12月18日に撮影。僕が走っている小金井公園は、実は今上天皇にとても縁の深い場所である。それについては2015年9月30日に
「戦争と平和」という日記で書いています。そして僕はそんな陛下が皇后さまとお二人で小金井公園を訪問されようとしたとき、幸運にも遭遇している。そのときのことは2016年5月31日
「ダラダラの効用」に。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #VIVID