2004年11月、勝谷誠彦がまだレンタル日記サイト「さるさる日記」で連載していた『勝谷誠彦の××な日々。』の中で僕のブログを紹介してくれたのは、当時、白夜書房で『楽しい熱帯魚』という雑誌を作っていたYという編集者が見つけた。Yは僕が23才のとき、小さな編集プロダクションに入った頃の直属の上司でもある。それが『ビデオ・ザ・ワールド』誌のY編集長(同じイニシャルでややこしいのだが)に伝わり、メールで知らせてくれた。文面からして「有名な人なんだろうな」とは思ったが、正直なところ顔と名前が一致しなかった。それで確か検索したのだ。「ああ、あの人か」とすぐにわかった。と言うのも、当時僕は朝起きるとテレビ朝日の『やじうまプラス』(平日5:25〜8:00)という情報番組を流しながらストレッチをして、その後ジョギングに出かけるという生活をしていた。
日替わりでコメンテーターが2人ずつ出る形式で、曜日は忘れたが、特に大谷昭宏さんと勝谷がコンビを組む日が抜群に面白かった。ただ、大谷氏が元読売新聞大阪の記者で黒田清さんの部下だったということは知っていたが、勝谷が何者なのかは実はよくわかっていなかった。2004年と言えばイラクで3人の若者が誘拐され、自衛隊が撤退要求を受け問題になった年だ。同じテレ朝の『朝まで生テレビ!』に戦場ジャーナリストの橋田信介氏と一緒に出ていて、そのときも圧倒的な存在感を示していた。思えば勝谷が最も元気に、マスコミに露出していた頃だった。
※写真は昨日アップしたものと同じ日。近所のアパートのブロック塀を写す。山茶花(さざんか)だろうか? 相変わらず花の名前はわからない。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #VIVID