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仕事上が必要があって、川本三郎さんの『同時代を生きる「気分」』(講談社)を再読した。これは1977年に冬樹社から刊行されたものが、1986年に再発された版である(リンクしたAmazon.co.jpは冬樹社版)。内容はほとんど覚えていなかった。というか本書は基本的に文芸評論集であり、俎上に上げられている江藤淳、柄谷行人、花田清輝といった作家・評論家を、昔も今もそもそも僕は読んだことがないのだ。だからおそらくサッパリかわらず、読み飛ばしたに違いない。いや、今回もその辺はほとんどナナメ読みしただけで(すみません、涙)、最後に載せられた2編の映画評論だけを読んだ。そして驚いてしまった。こちらもやはり記憶に残ってはいなかったのでちゃんと読んでいなかったのだろうが、今読み直してみると、川本さんの洞察が実に興味深い。まるで未来を予言しているようだ。 「大衆の反乱、知識人の戦慄──ハリウッド赤狩り論」という章がある。主に取り上げられているのは以下の3作品。「共産主義者」だとして非米活動委員会に召喚され拒んだ映画人、いわゆる「ハリウッド・テン」の1人で、後に「転向した」と批判されたエドワード・ドミトリク監督の『ケイン号の叛乱』(1954年)、シドニー・ルメットによる『十二人の怒れる男』(1954年、主演のヘンリー・フォンダもまた、「ハリウッド・テン」に対する弾圧に反対を表明した一人)、そしてデニス・ポッパー監督、ニューシネマの傑作『イージー・ライダー』(1969年)。川本さんはまず、「マッカーシズム、赤狩りとは右翼・左翼の問題ではない」と書く。なぜならジョセフ・マッカーシーは1950年、ウエスト・ヴァージニアに於ける演説で以下のように言っているからだ。 「我が国を敵に売り渡してきたのは恵まれてない人々ではなく、立派な家庭、最高の大学教育、政府部内の立派な職──これらの恩恵に浴してきた連中である。(中略)口に銀のスプーンを咥えて生まれた良家生まれの英才こそ、最もたちの悪い連中なのだ」。これ、ドナルド・トランプが2016年の大統領選で行なった演説の一部だと言われても信じてしまいそうだ。つまり川本さん曰く「マッカーシズムとは右派による左翼弾圧ではなく、大衆主義からの東部エスタブリッシュメントへの反乱なのだ」。先に予言と書いたけれど、要はアメリカって70年間なんにも変わってないということなんだな。そして『十二人の怒れる男』は、そんなインテリ対大衆の構図を、知識人たるシドニー・ルメットが、上から目線で描いたちょっとイヤったらしい映画なのだ(もちろん、傑作中の傑作ではあるのだが)。 ヘンリー・フォンダ演じる「陪審員8番」と、彼に最初に同調する80才の老人「陪審員9番」(ジョセフ・スィーニー)が東部インテリの象徴。これに対し最後まで抵抗するリー・J・コッブの「陪審員3番」は叩き上げの会社経営者であり、「陪審員10番」(エド・ベグリー)も自動車修理工場経営者。つまり大衆の代表だ。しかしこの作品が優れているのは、「陪審員3番」と「陪審員10番」が知識層に反発するのではなく、むしろ被告のユダヤ人少年に対し、貧困層への偏見を剥き出しにして有罪を主張する点だ。エド・ベグリー演じる「陪審員10番」は最後の最後、ヘンリー・フォンダの「陪審員8番」に追い詰められてこう叫ぶ、「あの子は嘘つきだ! 奴らはろくでなしだ。まったくの役立たずだ。奴らは危険だ、危険なんだぞ!」。 そして川本さんはこう記している。「彼ら(反エスタブリッシュメントの大衆)は自分が栄光あるアメリカ人であるという意識だけが支えであり、現実の流動する時代に対しては不安とおびえしかない。彼らが不安を解消できるのは、スケープゴートを探し当てた時だけである」と。そう、こうなってくると遠いアメリカの話だけではなく、在日外国人にヘイト行動を繰り返したり「LGBTには生産性がない」とマイノリティをディスるイタイ日本社会も、他人のことを決して笑ってられない。つまり古今東西この構図は存在するわけだ。そして川本三郎氏はそんな救いのない状況の中で、唯一の希望をアメリカン・ニューシネマに見出している。『イージー・ライダー』に登場するヒッピー世代は裕福な中産階級の若者であり、エスタブリッシュメントの息子たちである(主演のピーター・フォンダが名優ヘンリー・フォンダの長男なのはご存じの通り)。 1960年代の後半ともなると、大衆、特に南部労働者階級の敵対心は東部及び西海岸の豊かな若者たちに向いていた。ドナルド・トランプが目の敵にした、オックスフォード大学へ2年間留学したことで徴兵を免れたビル・クリントンの世代である。しかもそのベトナム戦争を始めたのは、クリントンが尊敬してやまなかったジョン・F・ケネディなのだ。アメリカン・ニューシネマの旗手たちは、そんな東部エスタブリッシュメントのインチキを知り尽くしていた。だからアーサー・ペンの『逃亡地帯』(1968年)では大衆が暴徒化してロバート・レッドフォード演じる脱獄囚を追い詰めたのだし、『イージー・ライダー』ではジャック・ニコルソンは撲殺され、デニス・ポッパーもピーター・フォンダも撃ち殺された。この評論「大衆の反乱、知識人の戦慄──ハリウッド赤狩り論」の初出は1972年『映画批評』の12月号だそうだ。 ※写真は講談社版『同時代を生きる「気分」』カバー表1。例によって図書館で借りました。装幀は遠山八郎。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #VIVID
by tohramiki
| 2018-10-03 20:30
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