先日、京都在住のライター吉村智樹さんにお会いしたのだが、そのとき吉村さんは、中学生のときに井筒和幸監督の『ガキ帝国』(1981年)を初めとしたATGの1千万円映画(1千万円という低予算で次々と名作が作られた。大森一樹『ヒポクラテスたち』、根岸吉太郎『遠雷』、長崎俊一『九月の冗談クラブバンド』、岡本喜八『近頃なぜかチャールストン」等々)に強い影響を受けて、8ミリ映画を始めたとおっしゃっていた。僕は吉村さんより7才年上だが、その7年のタイムラグを持ってしても、我々の経験はほぼ重なる。僕の場合、中学生の頃に羽仁進監督の『午前中の時間割り』(1972年)に強い衝撃を受けて、自分でも8ミリを廻したいと思った。作中、主人公たちが8ミリ映画を制作するという内容だったのだ。そして大学生のとき、『ガキ帝国』や『ヒポクラテスたち』を夢中になって観た。
つまり若者というのはいつの世も、メジャーなものよりインディーズなものに強く惹かれるということではないか? あるいは僕や吉村さんがだけが特殊な例なのだろうか。ともあれ、ココで話はまた昨日の日記に戻る。そういった意味では1983年に親友のKたちが下北沢の「ザ・ズズナリ」ホールで開いた自主映画祭は、今思うとすごいものだった。強烈なラインナップだった。インディーズ映画の金字塔たる大林宣彦『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』(1966年)があり、原将人が麻布高校在学中に撮った『おかしさに彩られた悲しみのバラード』(1968年)があり、田辺泰志『空、みたか?』(1971年)があって、原一男『極私的エロス 恋歌1974』(1974年)、藤沢勇夫『バイバイ・ラブ』(1974年)があった。
金井勝『王国』(1978年)に、長崎俊一が監督し内藤剛志が主演した『ユキがロックを棄てた夏』(1978年)。井筒和幸による劇団日本維新派のドキュメンタリー『足の裏から冥王まで』(1979年)、矢崎仁司『風たちの午後』(1980年)。一般的には知られてないかもしれないが、田代祐『さよなら17歳(セブンティーン)』(1979年)という心をわしづかみにされるような青春映画があり、後に友人になる杉森昌武の『僕のダッチワイフ』(1982年)もそのときに観た。僕はそれから3年後にアダルトビデオを撮り始め、現在に至るまでAVに関する批評を書き続けている。僕にとってAVとは言わば次世代のインディーズ映画であり、その生き方は1983年の下北沢で決定づけられたわけだ。
映画祭が終わった直後だったと思うが、Kたちが渋谷の南平台に借りていた事務所にたむろっていると、誰かが「たったひとりで製作資金を集めて、35ミリの自主映画を作ってしまった人がいるらしい。今日、銀座でその映画の試写会があるから行かないか」という話を持ってきた。その「たったひとりで製作資金を集めた男」というのが金子正次であり、出来上がった映画が『竜二』(1983年)であった。
※YouTube画面は羽仁進監督『午前中の時間割り』(1972年)のオープニング。主題歌「草子の散文詩(テーマ)」の作詞・作曲は荒木一郎。
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