昨日の日記で「テープ起こしのみの仕事はしたことがない」と書いた。書き終えてアップしたのが夜の9時半頃。やれやれ、今日も一日の仕事が終わったとお風呂に入り、湯船に浸かって「ハァー」などとため息ひとつ吐いたときだった。うんにゃ、違う、と思い出した。あったのだ、テープ起こしだけの依頼が。しかもそれは僕が生まれて初めてフリーのライターとして受けた、記念すべき仕事であった。
『デリヘルドライバー』(駒草出版)のエピローグにも書いたが、23才のとき、アルバイトで何とか潜り込んだアダルト誌の出版社を、半年あまりで首になってしまった。翌春になって新入社員が入って来たので、人員整理に遭ったのだ。
突然の無職である。半年程度の経験では、他の出版社の門を叩いてみても難しいに決まってる。さあ、困った。そこで首になった会社の先輩が同情してくれたのだろう、「テープ起こしの仕事があるけどやるか? そのくらいならお前にも出来るだろう」と紹介してくれたのだ。先方の担当編集さんは僕と同い年の女性だった。こうなると記憶は鮮やかに甦る。渋谷駅の東横線改札前で待ち合わせた。スラリとした背の高い、キレイな女の子だった。喫茶店で簡単な打合せをして、カセットテープを受け取った。媒体は家電メーカーの社内報、その何周年記念みたいな冊子である。
内容はその会社で長年主力になっている製品の開発に関わった、歴代の技術者4、5人による座談会だった。なので「専門用語や固有名詞が出てきますけど、聞き取れなければ空欄にしておいてもらっていいですよ」と、彼女が言ったのをよく覚えている。その後少し雑談をして、「この後、何か用事ありますか?」と僕は訊いた。そのとき2008年に亡くなった親友のKを中心として、友人たちが下北沢の「ザ・ズズナリ」ホールで自主映画の上映会をやっていた。僕はほぼ毎日顔を出していたので、「もしよかったら一緒に行きませんか」と言ってみた。「へえ、面白そうですね。行きます」ということになり、井の頭線で向かった。
毎日2本から3本上映され、それが3週間ほど続く映画祭である。監督が登壇してのトークもあって、上映後は毎晩のように打ち上げもあった。二人で並んで映画を観て、誘うと彼女は打ち上げにも参加してくれた。友人たちの中にキレイな女の子を連れていくのが、少し誇らしくもあった。でも、何か恋愛感情めいたものがあったかというとそんなことはない。もちろん相手もそうだった。偶然仕事で出会い、その夜に仲間に紹介し一緒にワイワイとお酒を飲むというのは、今思うとなんと若者っぽいのだろう? ところでその後の記憶がまったくない。メールなんて影も形もなかった時代だ。FAXだってあまり使われてなかった。少なくとも僕は持っていなかったし、Kたちが事務所として借りていたビルの一室にも黒電話一台しかなかった。だから書き上げたテープ起こし原稿を渡すために、彼女には最低もう一度は会っているはずなのだが。
※写真は4月18日。武蔵小金井駅前。夕方の景色にも、少しだけ初夏の光が感じられるようになった。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #VIVID