人間の記憶というのは不思議なもので、頭の片隅にすらない、忘れていた、というより元々そういう現実があったことすら消えていたような事柄が、あるときふっと浮かんだりする。昨日がそうだった。いつものように何気なくテレビを点け、見るでもなく音だけを聞き流しつつ用事をしていたら、所有のクルーザー「光進丸」が火事で焼けてしまったということで、加山雄三さんが会見をされている様子が始まった。眼をやるとあのいつも元気な人が、「相棒がいなくなり、半身を失ったくらいつらい」と少し涙ぐんでおられたようにも見え、何ともお気の毒であった。ところで、この日記では何度も書いているが、僕の親父は戸浦六宏という芸名で役者をやっていた。
今年で亡くなってちょうど25年。つまり四半世紀経つというのに、いまだに「ファンでした」と言ってくださる方もいてありがたい限りなのだが、それでも存在としては地味な脇役俳優である。それに比べ加山雄三さんと言えばお父さまは戦前からの名優・上原謙さんでお母さまは小桜葉子さん。言わば生まれながらの大スターである。だから接点などどこにもないというか、同じ俳優でも住む世界が違うと思っていたのだが、そのテレビを観ていて、「待てよ」となった。そう言えばオヤジ、まさにその「光進丸」に乗せてもらったと言ってたゾ、と突然記憶がフラッシュバックしたんである。確か僕が中学生くらいのことだ。
おそらく番組か舞台の打ち上げではなかったか。けっこうな人数の船上パーティだったようだが、若いスタッフたちはやがて三々五々帰り、ウチの父親を含めたベテランの俳優数人が残ったところで、加山さんが「カレー、食いませんか?」とふるまってくださったという。ハッキリ覚えているのは、親父が「これが美味かった。加山さんはカレーを、水を使わずに作るそうだ」と言ったことだ。つまり野菜や果物などの水分だけで煮るということだろう。現在はカレー専門店などではよくやるようだが、僕が中学生だから1970年代。珍しかっただろうし、料理に関しても本格派でいらしたのだ。何よりそういう作り方なのだから、当然ご自身で前日から時間をかけて仕込まれたに違いない。スターらしからぬ、仕事仲間への愛情と優しさが感じられるエピソードである。
僕くらいの世代は少年時代、ゴジラやモスラの怪獣映画見たさに映画館へ行き、併映の『若大将』シリーズに触れたという人が多いはずだ。そこで子ども心に青春コメディの面白さを知り、恋やスポーツ、エレキギターへの憧憬を抱いた。加山さんには感謝しつつ、いつまでもお元気な若大将でいて頂きたいと切に願うものであります。
※写真は昨日の桜。いよいよ新緑との対比が美しい時期となりました。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #VIVID