昨日の出来事を未だに引きずっている。いや、喉の奥に鉛を飲み込んだような不快な感覚は、さらにひどくなった。そして、ああいうときの人間の記憶というのはやはり奇妙なもので、昨日はまったく覚えていなかったことが、時間を経るにしたがってリアルに浮かび上がってきた。清掃作業のワンボックスカーが猛スピードで突進し、間一髪で身をかわした後、その場に倒れ込んだ。なぜだったんだろうと考えていたのだが、不意に思い出した。あのとき、失神したり意識が遠のいたりして倒れたわけではなかった。頭はハッキリしていた。ただ、脳のどこかが「少しでも精神的ショックを弱めろ」「だから倒れた方がいいぞ」と囁いた気がした。だからほぼ無意識に下半身の力を抜いた。すると突然、自分の腰から下が消え失せたように、気がつくと路面に倒れていたのだ。
そしてもうひとつ、まるで脳内で映画が上映されるように甦った記憶がある。僕は冷たい地面に頬を付けたまま、運転手の相棒らしき男が何ごともなかったように、急いで軽のワンボックスからモップやホースを運び出し、女子トイレの掃除を始めたのをぼんやりと見ていたのだ。バックで突っ込んできたのだから、助手席にいた相棒は僕の存在に気がつかなかったのだろう。一方、僕が身をかわしたのは右側だったから、運転手にはドアミラーすれすれにジョギングウェア姿の男がかすめていったのと、直後に地面に倒れたのがはっきりと見えた。しかし助手席の男は車が停車するや否やドアを飛び出して、バックドア(リアハッチ)から掃除用具を取り出したので、僕が倒れたこともまったく知らなかったのだ。
つまり彼らは異様なほどに急ぎ、慌てていたのではないか? だから後方の確認もせずに猛スピードでバックしたのだ。ひょっとして、公園のトイレの清掃は「お客様が少ない午前中の早い時間に終わらせるべし」といったような規則があるのかもしれない。それで清掃員が追い立てられていたとしたら、まったくもってバカバカしく本末転倒な話だ。それと、倒れていた僕に謝りにきた運転手の男は、胸に顔写真付きのネームプレートを付けていた。だからiPhoneでそれを撮影して、公園管理局に通報してもよかった。でもやめた。昨日書いたように、定年退職後の再就職組だろうと考えたからだ。歳をとっても尚働いているのは、働かねばならない理由があるからだ。そんな人から職を奪うわけにはいかない。
ただ──と今日になって考えるようになった。65才前後と見えたが、ひょっとするともっと高齢なのかもしれない。つまり彼は、近年問題になっている運転不適合者の可能性もある。確かに、対応はおかしかった。「死んだ魚のような目をしていた」と書いたが、今思えば目つきが妙だった。帽子を取り「すみません、すみません」と何度も白髪頭を下げて謝っていたが、その動作も機械仕掛けの人形のようで、どこが「心ここに在あらず」という雰囲気があった。いったいどうしたものか? もうひとつ思い出した。いちばん恐ろしい記憶だ。ストーンズの「キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング〈Can't You Hear Me Knocking〉」が終わり顔を上げたとき、ワンボックスカーの背面がわずか50センチのところまで迫っていた。そのとき僕はこう思ったのだ。「嘘だろ?」と。昨日は広島で「通り魔事件」があって、一人が亡くなった。この世界には「嘘だろ?」と呟きつつ死んでいかねばならない、恐ろしい現実がある。
※写真は先週金曜日。公園内にある子ども用のソリゲレンデ。四半世紀前この地に引っ越してきたのは、小金井公園に惚れ込んだからだ。そしてずっと走り続けてきた。つまり僕は公園を愛している。そんな最愛の場所で殺されそうになったのが、腹立たしく悲しいのだと気づいた。data:iPhone6 #Instagram #MOLDIV #ENCIEL