8時起床。9時過ぎからjog。気温は昨日よりさらに低いようだ。110分走ってもTシャツは胸の辺りがうっすらと濡れるだけ。何とか、1時間でも30分ずつでもいいから起きる時間を早めていきたい。僕の場合、夜になると圧倒的に仕事のペースが落ちる。これからどんどん陽が短くなるから尚更だ。だから少しでも早く起きて走ったり雑用を片付けたりして、早い時間から仕事を始めたい。
考えてみたら夜中の奥深い暗闇のような場所で、脳の奥から熱気にも似たアドレナリンが吹き出して一心不乱にキーボードを叩くというような文章の書き方をもう何年もしていない。要は歳をとったということなのだろうか。いや、それより夜というものに何か特別な想いを持てなくなったのだ。そう言えば夜の街にいるのが楽しくて楽しくて、ずっと夜が明けなければ良いなんて思わなくなったな。
昨日、財布を拾ったという話を書いたけれど、僕は人並み外れてお金をよく拾う人間だと思う。一週間の間に4回、計10万円ほどを拾ったことがある。それも財布を拾って届けずパクったという話ではない。どれもヒラヒラとお札がどこからともなく落ちてきたかのような状態のモノを拾った。そんなアホなと思うヒトがいるでしょう。でも世の中には不思議なコトがあるんです。今でもいちばん不思議に思うのは、あれもやはりこのままずっと夜が続けば良いのにと思っていた頃のことだ。
バイトの帰りに仲間のシュンちゃんという男と酔っ払ってタクシーに乗った。僕もシュンちゃんも酒が弱いくせに大好きでついつい終電を逃してしまい、オマケに酒が入ると気が大きくなるのでバイト先の上野から自由が丘のシュンちゃんちまでタクシーに乗ってしまうのだった。「うーん、お酒が飲みたいよう、トーラ。もっと飲みたいなあ」「飲みたいねえ。でもシュンちゃん、このタクシー代を払ってしまうともうお金が無いのだよ」など言いつつ乗っていた。僕よりさらに酒に弱いシュンちゃんは「ウチに帰ればウイスキーが少し残ってたかなあ」なんて言いつつ眠ってしまった。その時である。
暗いタクシーの車内、ふと見るとシュンちゃんの足元にくしゃくしゃになったお札が山のように落ちているのである。彼の靴を被い溢れんほどだ。少なく見積もっても30枚はある。全部千円札でも3万円、1万円札なら30万だ! 僕はシュンちゃんが眼を覚まし驚いて大声あげないように、運転手さんに気づかれないようにそっと床に溢れているお札を拾い集めた。これでお酒が飲める、朝まで飲めるぜシュンちゃん! そう思いながら。
お札は確かに30枚以上あった。ただ、結果から言うとそれはすべて五百円札だった。若い人は知らないかも知れないが、その当時はまだ五百円札というものがあったのだ。今、ネットの
フリー百科事典wikipedia(コレは本当に調べモノに便利だ!)で見てみると1982年4月に廃止されたそうだ。同じ頃五百円硬貨が登場するとアッという間に世の中から消えた。その30枚以上の札束を僕とシュンちゃんがどう使ったかは忘れた。ただ1万6千円、じゃあ半々で8千円ずつな、なんてことをしなかったのだけは確かだ。たぶんその夜のうちに自由が丘の街で飲んでしまったのだろう。お金を拾う程度のツキなんてそんなもんだ。五百円札同様、アッという間にこの世から消えてしまうのだ。