9.11だ。昔々、NYマンハッタンの地下鉄、チェンバース・ストリート駅の構内で、地下水がしみ出る壁を見つめながらペイ・フォーンを握りしめていた夜があった。ラリった黒人のカップルがやってきて「へい・ゆー、なんたらかんたら」とせせら笑ったので「黙ってろ!」と怒鳴った。友人に何とか連絡を取ろうと思っていたのだが、応対するオペレーターの英語が聞き取れなくて何度も「ぱーどん?」を繰り返していた。カップルの男の方が馴れ馴れしく肩に手をかけてくるのでイラついて「汚ねえ手で触んじゃーねーよ」と怒鳴って振りほどいた。女の方が「アタマがおかしいよアイツ」とか言い、男はニヤニヤ笑いながら「ピース!」と言って去った。電話が切れてしまいコインを入れ直そうとしていた時ポリスが声をかけてきた。30分ほど前地下鉄を降りる時、男3人に女2人のチームがプラットホームにいたのはわかっていた。そのうちの一人がいつの間にかそばに来ていて「おまえは大丈夫なのか?」と言った。と若い、190センチはありそうな男だった。「大丈夫だ。友人に連絡を取りたいのだが上手くいかないのだ」というようなことを下手な英語でなんとか伝えた。「何か手伝うことは?」「ない。さんきゅー」と言うと「気をつけろ」と言い警棒をもてあそぶようにしてぶらぶらと去った。僕にとってニューヨークとは、マンハッタンとはそのような土地であった。
切通理作さんがmixiで書かれている日記で、作家の見沢知廉が亡くなったことを知った。46才。僕と同い年だ。2001年の頭脳警察再結成のライヴが日比谷野音であって、数日後にパンタのインタビューをすることになっていた僕もその場にいた。ファーストアルバムのジャケットか何かをプリントしたTシャツを着てやたらはしゃぎまわっていた端正な顔立ちの男がいて、編集者に「誰、アイツ?」と訊くと「見沢さんです」と教えてくれた。今夜、降り出した雨の中「うっとうしいなあ」と思いつつ投票に行き、戻ってから開票速報を見ると、自民党が歴史的大勝と伝えていた。