やっと6時に起きられるようになった。梅雨はまだ明けない。曇り空の下、130分jog。戻り、お風呂の中で
『花森安治伝─日本の暮しをかえた男─』(新潮文庫)読了。うーむ、面白かった。素晴らしい一冊。ひと言で言えば「今なぜ花森安治なのか?」がわかってしまう本である。さすが津野海太郎さん、名編集者、名編集者を知るとはこのことだと思う。では、「なぜ今」なのか? 花森安治が戦時中、そのコピーライトの腕を買われ大政翼賛会へ参加。あの悪名高き「ぜいたくは敵だ!」の標語を考えたというのは有名な話(朝ドラ『とと姉ちゃん』では「すすめ一億火の玉だ!」になっている)。
そうやって戦争に荷担してしまった後悔と忸怩たる思いが彼にはあって、戦後は(戦争で最も苦渋を強いられた)女性のための雑誌作りをしたというのが一般的な解釈である。もちろんそういった側面もあるにはあるのだが、津野海太郎が指摘するのはその先だ。そもそも大政翼賛会を支えていた精神は、戦況の悪化により「この国を何とか守らねばならん!」という切羽詰まった愛国心だった。ところが度重なる空襲と敗戦でボロボロになって、食うモノも着るものすら失った日本人は愛国心どころじゃなくなっちゃった。でも復興が進むにつれ、そんな中でも多くの知識人たちが「この国を今後どうするべきなのか?」を考え始めた。
ある人々はスターリニズムやマルキシズムにその答えを求め、ある人々は民族主義に求めたかもしれない。そんな中、花森の意思は戦中も前後も実は少しも変わらず、「なにがなんでもこの国を守らなければいけない」だった。ただし彼が他の人々と決定的に違っていたのはその方向をイデオロギーではなく、「暮らし」というものに求めたということだ。「守るべき国とは何か? まず第一にそれは私たちの暮らし、日本人の日常生活ではないか」と。一方の上に記した政治的姿勢はどうだったか? 前者は70年安保の敗北から日本赤軍、連合赤軍へと向かい、後者は山口二矢の浅沼稲次郎刺殺や三島由紀夫の割腹へと繋がった。
こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、これって今、自称・左翼と自称・右翼がネット上でいがみ合ってるのとあまり変わらないんじゃないかな? そして花森安治がさらにすごいのは、彼は決して一見小市民的な「暮らし」の中に逃げ込むだけじゃなかったということだ。イデオロギーとは一線を画しながら、雑誌というものを武器に「水俣病」や「森永ヒ素ミルク」といった問題へ果敢に闘いを挑んでいく。しかもそれは昨今のオーガニック、ロハスという概念とは一味も二味も違う。利益追求を第一義に、庶民や購入者の健康を害してしまう企業の姿勢とは、日本人が本来持っていた「もの作り」への誇り、「職人」感覚の摩耗・喪失ではないかという怒りである。
花森の盟友であり「雑誌の鬼」と呼ばれた『週刊朝日』編集長・扇谷正造は、彼をこう称している。「花森安治の本質はすぐれたアルチザン(=職人)である」「そして氏が長い思想遍歴の後に到達したのは、<日本文化の特質は職人にある>という信念であろう」と。
※昭和を描いた朝ドラで素晴らしいのは、当時の建築の美しさ! これもまた、日本人が失ってしまったものなんじゃないかなあと、僕なんかは思うのですが。写真は『とと姉ちゃん』、「あなたの暮し社」の常子(高畑充希)と鞠子(相楽樹)。先週木曜日放映分より複写。data:iPhone4 #instaplus #Normal #CRT