午前9時過ぎよりjogに出る。東京は美しい秋晴れ。公園は光に溢れている。戻り、お風呂の中で猪瀬直樹・田原総一朗による対談集
『戦争・天皇・国家 近代化150年を問いなおす』(角川新書)[Kindle版]読了。黒船来航からつい先日の安保法制まで、日本の近代史が二人の言葉の達人によって実に判りやすく平易な言葉で語られ、「うーむ、なるほど」「そーかそーか!」と何度もうなずき腑に落ちまくる本でありました。面白かった! ところで、文中ボクが本日も、そして毎日のように走っている小金井公園が登場する場面がある。それは1948年12月23日、つまり終戦から3年後、現在の天皇陛下が皇太子のとき、15才の誕生日を小金井で迎えるというくだりである。
東宮御所は空襲に遭ったので、小金井公園内(当時の名称は小金井緑地)に仮御所が建てられ、若き日の陛下はそこで暮らしておられたという。そしてココが実に興味深いのだが、この1948年12月23日に東条英機が処刑されるのだ。猪瀬さんはこれを「ダ・ヴィンチ・コード張りの仕掛け」と言い、田原さんは「アメリカは日本人に十字架を背負わせようとした」と語る。つまり時の皇太子は後に必ず天皇となる。すると天皇誕生日が東条の殺された日になる。日本人はそのたびに敗戦と戦争責任を思い出すだろうというわけだ。ところが昭和天皇が長生きされたおかげでアメリカのアテは外れる。12月23日はなかなか天皇誕生日にならず、高度経済成長に浮かれた日本人は、東条英機の処刑なんてさっぱりと忘れてしまう。恥ずかしながらボクもその日が東条サンの死んだ日だなんて知りませんでした(>_<)。
猪瀬さんによると、例年なら皇太子の誕生日とは皇族方が皇居に一同に会して祝うものだそうだが、東条が処刑されたため、昭和天皇は一日中に引き籠もって過ごされ、今上陛下も誕生日を迎えましたとの報告だけをして、早々に小金井へと戻られたという。ところでその後、陛下は小金井公園に来られたことがあるのだろうか?
※写真は本日、公園内の遊具ゾーン。就学前の子どもたちとママで賑わう。平和っていいですね(^o^)。data:iPhone6 #instaplus #Normal #RVP100