川崎で中学1年生の男の子が18才の少年ら3人に殺害された事件で、その前に被害者の子の顔に青あざが出来ていたことで、別の少年グループが犯人の少年に抗議していたという話が報道されている。あれは僕が小学校5年の時だ。ある日学校に行くと、友達の一人が、顔の半分がもう半分とはまるで別人のように無残に赤黒く腫らしていた。聞くと前日の日曜日、向ヶ丘遊園のスケートリンクで隣の小学校の1つ年上の子に殴られたという。僕らの小学校は児童の数が増えすぎたため、元々その隣の学校から分かれて出来たものなので、1学年上下くらいは顔見知りである。その殴った子のこともよく知っていた。スケート場では靴が3種類貸し出されていて、フィギアとスピードとホッケー、僕らはスピードを履いてストイックに速さを競っていたが、その子はホッケーでスイスイとバッククロスかなんかを決めていた。上手だったが、まあ、チャラい不良だったわけだ。
確かその翌日くらいだったと思う。僕らはたまたま野球の試合かなんかの帰りで、男子だけ15、6人くらいで地元の街を歩いていた。するとその1つ年上の子がいたのだ。お母さんと一緒だった。僕らは「アイツだぜ」とゾロゾロ後をついて行った。僕らは何も言わなかった。「おばさん、その子は僕らの友達を殴ったんだ」と親に言いつけるのは、子ども社会の仁義に反していたからだ。だから無言で近づいていった。野犬の群れが「グルルー」と唸って取り囲むようなものだ。さぞ不気味だったと思う。やがておばさんが、自分の息子が何か悪さをしたと察したのだろう、「後できつく言い聞かせておくから、これからは仲良く遊んであげてね」と頭を下げた。その子本人は青くなって震えていた。
中学に入ると、その子とサッカー部で一緒になった。ただ、その子はサッカーは下手で補欠で、いつも同級生のレギュラーの子たちにイジメられていた。3年生になった時「部活を辞めたい」と言い出して、関西から転校して来た恐い同級生の主将に「グラウンド60周せいや、ほんなら辞めさせたるわ」と言われヨタヨタと走っていた。僕ら後輩は「アハハ」と指を指して笑った。同じ川崎市の、40年前の出来事である。いい時代だった。ちなみに実名報道してしまうとその子の名前はイリエ君といった。イリエ君は中校生になってからもスケート場に入り浸っていたらしく、確か明大中野のアイスホッケー部の監督にその場でスカウトされ、アイスホッケーで高校に入った。その後ホッケーで名選手になれたかどうかは知らない。
※写真は公園のバスケットゴール。事件の少年たちはこういう場所で知り合ったという。data:iPhone6 #instaplus #LCAgfa #RVP100。