俳優の林隆三さんが亡くなった。ウチの親父(戸浦六宏)と林さんは、大島渚監督の『絞死刑』『新宿泥棒日記』『儀式』等の脚本でも知られる佐々木守さんによるテレビドラマ、『お荷物小荷物』(1970年〜71年・朝日放送)という作品で共演して以来、仲良くさせて頂いていた。確か一時期は事務所も一緒だったはずだ。あれは僕が高校の1年生くらいのことだ。朝起きると玄関に、膝まであるデカい男物のロングブーツがあった。1970年代初めのことである。当時、男物のロングブーツというのはとても珍しかった。おそらく国産メーカーのものはなかったのではないか。台所に立っていたオフクロにこっそり「誰?」と訊くと、「林隆三さんよ」と答えた。どうやら何処かで一緒に飲んでいて、酔っ払った親父が無理やりお連れし泊めてしまったようだ。ひと廻り以上歳下で、役者としても後輩にあたる林さんは断り切れなかったのだろう。
何度も書くけれど我が家は小田急線新百合ヶ丘という川崎市の外れにある。おそらく都内に住んでおられたであろう林さんには、さぞご迷惑だったに違いない。ウチの親父というのは、ひとたび酔っ払ってしまうと人を「オレん家へ来い」と無理に泊まらせてしまう男だった。しかもその日自分は仕事だと客を放り出して朝から出かけてしまい、ひとり眼が覚め恐縮して、「失礼します」と早々に帰ろうとする林さんを、今度はオフクロが「朝ご飯食べていってください、そうしないと主人に叱られますから」とまたもや無理に引き止めていた。いやはや(涙)。それはともかく玄関の靴が林隆三さんのものだと判って、僕はとても納得していた。ああいう膝まであるロングブーツというものは、林さんのような背が高くて脚の長い人でないと似合わないのだ。もちろんそのように足元をキメるためには、パンツやジャケットもお洒落でなくてはならない。
親父に無理強いされたあげくひとり残されてさぞ気まずかったであろう林さんだが、簡単な食事をとり珈琲を飲んでいる時には実にリラックスされ、オフクロ相手にあのよく通るバリトンでにこやかに談笑されていた。子供心に「スターなんだなあ」と思ったものだ。そして同時に、とても気さくな人だったのだ。僕は今でも男物のロングブーツを見ると、林隆三さんを思い出す。あれは1970年代に於けるカッコいい男、輝くような二枚目俳優の象徴であった。半年前の朝ドラ『ごちそうさん』では、やはりあの時期、佐々木守さん脚本による『柔道一直線』で一躍スターになった近藤正臣さんが、実に粋で洒落たおじいさん役を演じておられた。享年70、まさに「これから」だった。林隆三さんのカッコいいお年寄りの役を観られなかったのは、この国の映画界・テレビ界にとって、大きな損失であったに違いない。謹んでご冥福をお祈り致します。