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またまた昨日の続き。5月13日に行われた〈鈴木茂『BAND WAGON』再現LIVE〉のステージで、鈴木茂さんはダグ・ローチに関して、こんなふうにMCをされていた。「サンフランシスコへ行ってダグと会って、『一緒に演ろう』という話になって、まずグレッグ・エリコ(dr)を紹介されたんですよ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの。グレッグは「100ワットの恋人」を気に入ってくれて、3人でスタジオへ入って何曲か録音した。その数日後だったと思うけど、ダグの家に居たら(チャイムが)ピンポ〜ンって鳴って、ダグが出たらデヴィッド・ガリバルディ(dr)が立ってた。彼はその頃タワー・オブ・パワーを抜けていて、ニューヨークでドラム・スクールの講師をやってたらしいんだけど、それもちょっと飽きたというかイヤになっちゃったらしくて、サンフランシスコに帰って来たところだった。それで参加してくれることになって、「砂の女」なんかはまさにデヴィッドのリズムありきで。つまりすべてダグとの出会いから広がっていったというか・・・だからまあ、恩人ですよね」と。
ダグ・ローチのベース・プレイの特徴は、〈ダブル・サム〉と呼ばれる独自の奏法にあると言われている。一般的なスラップ奏法(日本では「チョッパー奏法」という言い方もある)の場合、親指をダウンストロークで弦に叩きつけ(サムピング:thumping)、その後返す刀よろしく人差し指もしくは中指で引っ張ってハジく(プリング:popping)。そのコンビネーションで打楽器のような効果を出すわけだが、〈ダブル・サム〉の場合は親指をピック弾きのように高速に上下する。つまり親指のみでより細かいビートを叩き出し、それにプリングやツー・フィンガー(人差し指と中指で弾く、一般的な奏法)を加えメロディアスな味わいを出すわけだ。ただ、ダグ・ローチの場合はそれ以上に、昨日もリンクした「SANTANA Lotus Tour In Japan 1973 [HQ]」、2曲目「A-1 Funk」が実に特徴的なのだけど、運指とフレージングが自由奔放というか天衣無縫というか、エレクトリック・ベースという楽器に対する考え方が、他のプレイヤーとは根本的に違っているように見える。 ![]() また、レコード・デビューは1971年、カーリー・サイモンのファースト・アルバムだったというのも初めて知った。ちなみにこの時ダグ・ローチ、弱冠20才である。サンタナの『キャラバンサライ』(1972年)は、おそらくレコーディング時には21才。早熟の天才だったわけだ。極めて個人的な想いに過ぎないが、長年僕がこのダグ・ローチというミュージシャンが気になっていたのは、彼が活躍した時代と関わりがある。鈴木茂『BAND WAGON』がリリースされた1975年前後、それはポピュラー音楽が大きく進化しようとした時期だった。ロックがジャズに、ジャズがロックに接近した。両者はソウル・ミュージックとファンクを貪欲に飲み込んで、まさにクロスオーバー(交差)したのだ。同じ年にジェフ・ベックは全曲インストゥルメンタルのアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』を世に問い、チック・コリアはリターン・トゥ・フォーエヴァーにレニー・ホワイトとアル・ディ・メオラを加え、1974年に『銀河の輝映』を、1976年には『浪漫の騎士』を発表する。そしてウェザー・リポートにはジャコ・パストリアスが加入して、『ブラック・マーケット』(1976年)がリリースされる。 けれどそれは逆に言えば、ロックとジャズが行き着くところまで行ってしまった、限界点を迎えてしまった時代だったようにも思える。あれほどストイックに音楽の先端を目指したクロスオーバーは、フュージョン・ミュージックと名を変えた途端、いたずらにテクニックを競うか、耳触りのいいだけのBGMへと流れていった。一方ロックの世界ではパンクが台頭。1976年11月25日、ザ・バンドは「ラスト・ワルツ」でその活動に終止符を打ち、その2年後、ジョン・ライドンは文字通り「ロックは死んだ」と宣言することになる。上記WikipediAダグ・ローチのページには、<28才(1979年)カリフォルニア州サンフランシスコにて、ヘロインの過剰摂取で死亡。>とある。ただし、〈『BAND WAGON』再現LIVE〉のステージで鈴木茂さんは、「詳しくは判らないんだけど」と前置きしつつ、「ボクは交通事故だったって聞いた」と語った。そして「何しろすごいスピードを出すから、ダグの運転でフリーウェイを走るのは生きた心地がしなかったよ」と笑った。 彼の活躍した時代、1970年代後半とは、作家の村上春樹さん風に言えば、<危険なカーブ>だったのかもしれない。上手に曲がり切れた者もいれば、スピードを落とさず突っ込んでいった者もいた。つまりダグ・ローチの奏でるエレクトリック・ベースは、決して最期までスピードを緩めぬまま疾走する、最先端の音楽だったのだ。 ※写真はFacebookの公開グループ〈Douglas Haywood Rauch〉のトップページより。写真の少ないダグ・ローチだが、こちらにはかなり珍しいものまでアップされている。
by tohramiki
| 2014-05-15 23:59
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