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若葉の美しい季節になりました。7時に起きて118分走り、戻ってお風呂に入ったりメールチェックなど雑用を少し。お昼になって数の子わさびを白米に乗せ、海苔でくるりと巻いていただいておりますと、テレビでは日米共同声明のライヴ中継をやっていた。チャンネルはNHKである。僕は『花子とアン』を午後の0時45分からの回で週間予約録画しております。しかし今日はこの特別番組のため、午後1時05分からとなるとか。というワケで「設定し直さなきゃ」と思っていたら、オバマさんが「尖閣諸島は日本の施政下にあり、日米安全保障条約第5条が適用される」なんたら、と言った。思わず「へー」と口に出していた。「ウーム、そこまで踏み込んだか」、なんていっぱしの政治通みたいなことを口走ってみたりして(^^;)。
ところで尖閣諸島を開拓したのは、古賀辰四郎という商人である。安政3年の生まれというから、明治維新の少し前だ。この人の立志伝というのがナカナカに興味深い。筑後の国、今の福岡市でお茶の栽培と販売を行う農家で育った辰四郎は、明治12年24才の時、那覇に渡る。何しろ沖縄は島なので、水があまりよくないらしいと聞き、だったらお茶が売れるんじゃないかと踏んだそうだ。ところが当時の琉球にはお茶を飲む習慣が無かったとかでサッパリだめで、辰四郎は途方に暮れたという。で、そんな風に途方に暮れつつトボトボと歩いていると、かの地の軒先には、貝殻がたくさん落ちている。食した後の殻を捨てたんですな。で、よくよく見てみると、本土で採れる貝とは違ってやたら綺麗だ。そこで彼は思いつく。ウン、コイツを磨いてボタンにしたら売れるんでねーの? と。 夜光貝という種類の貝殻だったそうでございます。でもってやってみると果たしてこれが売れた。売れに売れた。何しろ時代は明治の初め。「散切りアタマを叩いてみれば、文明開化の音がする」と言われた時代であります。日本人は我先にと着物から洋装に衣替えした。シャツやブラウスと共に、ボタンの需要は有り余るほどあったワケです。というワケで琉球の地で成功した商人となった辰四郎ですが、ある日浜辺を歩いておりますと、土地の漁師たちが何やら面白くてたまらないとばかりに笑い話に興じております。「何がそんなに面白いのか?」と尋ねてみましたところ、何でも「石垣島の沖合に、まったく誰も住んでいない島があって、バカドリが群生している。そこのバカドリは人を見たことがないので人間を少しも怖がらない。だから、棒切れで叩くだけですぐ獲れる」「なので魚は獲らずにバカドリばかり獲って来たよ」と言う。 「バカドリ」とはアホウドリのことだろうと察した辰四郎は、ならば鳥の羽毛が商売になるはずだと考えた。そして明治17年に探検隊を組織して件の無人島を訪れてみると、アホウドリがいるわいるわ何万羽と群生していた。いやそれだけでなく、その島は後に「魚釣島」と称されるだけあって影が濃く、特にカツオの大きな群れが島の近場を回遊していた。カツオというのは普通かなり沖合まで行かないと獲れない魚だが、島では手づかみで獲れる状態だったという。そこで辰四郎は魚釣島へ移住、開拓を開始。獲れた魚を加工する工場も設立し、今度は夜光貝のボタンどころの騒ぎじゃない、莫大な富を手にする。何故ならちょうど日本は日清・日露の戦争に突入。二つのいくさはどちらも戦地が寒冷地である。魚釣島で作られた缶詰やカツオ節は軍の携帯食に、羽毛は防寒衣類というふうに戦場の必需品となり、巨額の特需が発生したのであった。というわけで、尖閣の開拓者・古賀辰四郎の立志伝、一巻の終わりでございます。お後がよろしいようで──、 僕はこのお話が何となく好きなんですね。絶海の孤島を開拓していくわけですから、実際は大変な危険や苦労があったのだろうし、古賀辰四郎という人の才覚にも尋常ならざるものがあったのだろうが、話だけ聞いていると、物事が運良くトントン拍子に進んでいった「わらしべ長者」感があるというか(笑)、何より島国である日本にとって海、そして無人島というはフロンティアであり、冒険の場だったのだなあとひしひし感じられるんですね。 ちなみに尖閣諸島は辰四郎が開拓した翌年に日本の領土へと編入され、同年、政府から辰四郎へ30年間の期限付きで無償貸与されます。そして昭和7年には辰四郎の長男・古賀善次に当時の価格1万5千円で払下げ(現在金額換算で約2,500万円程度とか)となりますが、第二次大戦末期には沖縄近海の制海権をアメリカに奪われ、油や食料の輸送が困難となったため古賀家は事業を閉鎖、島は無人島となります。そして善次も亡くなった1970年代、親交のあった埼玉県の栗原家に譲渡されました。この栗原さんというのが、イシハラ元都知事が「東京都が買います!」と言った時の持ち主であります。ではまた明日。 ※古賀辰四郎の生涯に関しては、フォトジャーナリスト・山本皓一さんの著書『燃え上がる国境の島・尖閣諸島、竹島の歴史と真実』(宝島社新書)を参考にさせて頂きました。
by tohramiki
| 2014-04-24 23:59
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