1月20日の日記
「東京ドームで会おう!」で、当時僕のアパートに配達に来ていた新聞少年のOくんという人のことを書いた。すると当時彼と親しかったという方がTwitterで連絡をくださった。「東良さんを、鬼頭径五さんのライヴ会場でお見かけしたこともあります」とも書かれていた。そうだった。Oくんは我が家に集金に来た時僕がジャクソン・ブラウンのTシャツを着ていたのを目ざとく見つけ、「ロック、好きなんスか?」と声をかけてきたのだが、すぐに親しくなったわけではなかった。僕はこの通り社交性に欠けるし、彼もシャイな若者であった。ただそれから何度目かの集金の時、「昨夜、渋谷〈エッグマン〉の鬼頭さんのライヴで写真撮ってませんでした?」と訊かれたのだった。一昨日書いたように鬼頭径五はCBSソニーから鳴り物入りでデビューしたアーティストではあったが、まだ1stアルバムが出たばかり。誰でもが知っているという存在ではなかった。
だから、そんな鬼頭くんに眼を付けるとは、ロックファンとしていいセンスをしてるな、と思ったのだ。Oくんは当時20才そこそこだろうか。甘いマスクの、なかなかの美少年だった。新聞を配らせておくにはもったいないな──などと、他の新聞少年には失礼なことを思ったものだが、後々ひそかにミュージシャンを目指しているのだと知った。どこか地方から出て来ていて、新聞屋さんが寮として借りてくれているアパートに住んでいた。職場に同世代の人はいず、東京に友達もいなかったが、ロックのライヴに熱心に通っているうちに、少しずつ友達が出来たのだと言ってた。そう、彼こそ僕のような親の脛をかじって大学まで出して貰ったヤツとは違い、ワーキングクラス・ヒーローであるブルース・スプリングスティーンを愛するべきロックファンであった。そう考えると、当時まだ無名だった鬼頭径五を、その嗅覚から探し出したのだと納得出来る。
Twitterで連絡をくれた方は、「Oさんとはもう20年以上音信不通です」と書いていた。そう言えば、僕もOくんにちゃんと別れの挨拶はしただろうか、と考えた。1989年の初春に鬼頭くんのバンドが解散し、僕はツアーカメラマンを退いた。そしてほぼ同時に専属で撮っていたAVメーカーからも離れ、何よりOくんが配達してくれていたアパートを引っ越したのだ。彼と親しかったという人は、ツイートの最後にこう記していた。「時間は経ってしまったけれど、また東京ドームで会えたらいいなあ」と。
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