7時起床。いつものようにストレッチをして、お風呂で身体を温めてからjogに出る。快晴だが寒い。気温は1℃。iPod Shuffleにはブルース・スプリングスティーン、初期のアルバムを選曲して入れた。1月20日の日記で<東京ドームの中には入るのは人生で2度目だ。(中略)確かアムネスティ主催のチャリティー・イベントで、ブルース・スプリングスティーンを目当てに行ったのだ。>と書いた後、不意に聴きたくなったのだ。僕がこの世界一と言ってもいいだろうロックスターの音楽に親しむようになったのは遅い。あの5枚組(CDでは3枚)ライヴ、『The "Live" 1975-1985』が出てしばらくしてからだ。もちろんその前から「ボーン・トゥ・ラン」や「ザ・リヴァー」という曲は知っていたけれど、何故か自分でアルバムを買い、のめり込んで聴くことはなかった。
『The "Live" 1975-1985』が日本で発売された年の終わり、僕は2年間続けた『ボディプレス』という雑誌の編集長を辞めた。翌年から今度はアダルトビデオを撮るようになるのだが、ちょうどその隙間のような時期だった。ふとした縁から、翌88年にCBSソニーからデビューする、
鬼頭径五という川崎出身のロックンローラーのファンクラブ広報誌や宣伝ポスターを作らないか? という仕事をもらう。鬼頭くんは当時25才、京浜地区では有名なロッカーで、東芝EMIと争奪戦を繰り広げた後、CBSソニーが契約したというアーティストだった。おそらくソニーもEMIも、「日本のブルース・スプリングスティーン」が欲しかったのだと思う。彼は本人が望むと望まないにかかわらず、その音楽性やルックス、さらに出身地と地元で既に熱い人気を持つローカル・スターということから、そのイメージにはぴったりだったのだ。
つまりニューヨークが東京だとしたら日本のニュージャージーは川崎・横浜の湾岸。鬼頭径五の初期の作品には「From Gasoline City〈フロム・ガソリン・シティ〉」、川崎に実際にある地名“セメント通り”をテーマにした
「セメント・ストリート」といったものがあり、工場地帯、ブルーカーラーから登場したロックヒーローという構図は作りやすかったのだと思う。繰り返すが、本人が望むと望まないにかかわらず、である。どちらにせよそのような仕事の話があり、鬼頭くんの演奏を初めて観たのが、横浜のビブレの中にあるライヴハウスだった。帰りに同じ建物内にある書店で、ボブ・グリーンの
『アメリカン・タイム』を買った。店頭で平積みになっていたから発売されたばかりだったのだろう。今、手元にあるものの奥付を見ると「1988年2月2日」とある。そうか、やはり冬だったのだ。『アメリカン・タイム』は「ブルース・スプリングスティーン現象」というコラムから始まり、次に「ブルース・スプリングスティーンを理解する」と続く。そこから僕の80年代の終わりは、ブルース・スプリングスティーンを聴きボブ・グリーンの文章に浸り、鬼頭径五と共に旅をするという生活となる。
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