午後から打合せ。僕が小金井市などという辺鄙なところに住んでいるので、先方が気を使って吉祥寺を指定してくださった。公園口を出て見上げると右側にある「喫茶室ルノアール」。出版関係者にはよく使われる場所だ。特に中央線沿線に住む編集さんなら、「それでは南口のルノアールでどうですか?」となる。改札から近いし判りやすい。珈琲を飲み終わるやスッと日本茶が出て来るのも、長びく打合せには嬉しい。ここを僕に教えてくれたのは、大先輩のライター水津宏さんだった。80年代初頭の性風俗や創成期のAVについてお話を伺いたくて連絡した。なにしろ成人映画に代わって現れたVTR撮りのビデオ作品が、洋モノと紛らわしい「ポルノビデオ」、あるいは当時巷を騒がせていた『洗濯屋ケンちゃん』に代表される裏ビデオに対する「表ビデオ」などと、本末転倒の呼ばれ方をしていたのに、「アダルトビデオ」と命名したのが水津さんなのだ。高円寺にお住まいで、「トーラ君、小金井だよね。じゃあ間を取って吉祥寺にしよう」となった。
団塊の世代に少し遅れたものの高校時代から学生運動に身を投じていた水津さんだが、72年の連合赤軍事件辺りを境に、サブカルチャーの世界へと惹かれていく。水津さんのスタイルは80年代、初めてお会いした時から、ウェーヴのかかった肩まである長髪にレイバンのサングラス、足元はベルボトムのジーンズに夏はTシャツ、冬は革ジャンか革のコートとずっと変わらない。これはハードロッカー的でもあるのだが、アメリカのバイカー集団ヘルスエンジェルスの服装でもある。そのように当初はロックやまだカミナリ族と呼ばれたバイク少年たちを取材していたのだが、ある日編集部から「あやしげなビデオを撮ってる連中がいるらしい、取材してくれないか」と頼まれ、向かった先が市販されたばかりのポータブルビデオを使って、男女のハダカを撮っている制作集団だったというわけだ。
水津さんには笠原一幸、ペンネーム・東ノボルという相棒がいた。水津さんより3、4才歳下だったが、中学生の時から全共闘運動に参加し、その後はとあるアングラ劇団に付いて沖縄に渡ったという。しかし80年代になって経済的に困窮したとかで、ある夜水津さんに電話をかけてくる。そこで「だったら東京に来いよ、編集やライターの仕事があるから」と呼び、一緒に仕事をするようになった。東ノボルもまた、伝説のAVライターだった。僕は2011年に出した
『代々木忠 虚実皮膜 AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)の中で、彼に関してこう書いた。<AVライターには二種類いる。ひとつは〈アームチェア型〉とでも言おうか、作品を観て批評・紹介・評論をするタイプ。もうひとつが〈フィールドワーク型〉。カメラ片手に撮影現場を飛び廻り、AV女優、男優、監督にインタビューを試みる。笠原はその両方だった。「東ノボルは月に15本撮影現場取材をして、月150本のAVレビューを書く」と言われていた。これには「しかもワープロじゃないからコピペ無しでだぜ」という台詞が付く。>
東ノボルこと笠原一幸は、1995年に肺ガンでこの世を去った。「体調が悪い、胸が苦しい」と病院へ行き、入院してたった1週間後のことだった。「喫茶室ルノアール」で僕は水津さんに、「笠原さんのこと、想い出しますか?」と訊いた。返って来た答えは、「想い出さない日はないよ」だった。水津さんは少し笑って、「毎日必ず、彼のことは考えてしまうね」と言った。さて、明けて本日1月11日(土)『下北沢B&B』にて、イベント
<「あの頃」をなかったことにするな! 80年代、エロ本黄金時代」『季刊レポ』14号発売記念トークショー>があります。水津さんや東さんの話も出るかもしれません。また、自称「現役風俗ライター」のシークレットゲスト(←僕がこう書くと誰だか判ってしまいそうですが、笑)が登場してくださるかも(?)しれません。ではでは。
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