相変わらず会社から戻り洗濯物を取り込み、今日着ていたものは洗濯機に放り込み、お風呂に入ってから『あまちゃん』を観るのが楽しみという生活が続いている。3.11が描かれた回からは、あまり遅れることなく観ている。結局、誰も死ななかった。
5月14日、『ちびレポ』(『季刊レポ』が発行されない月に、定期購読者宛に送られる北尾トロ編集長からの手紙)発送作業の際、コラムラストのえのきどいちろう氏、副編集長のヒラカツさん、スポーツライターの海江田哲朗さんらと、『あまちゃん』の話題で盛り上がった。誰もが、ドラマの話とは思えないほど深刻に心配した。登場人物の中で、誰かが死んでしまうのではないかと。イイ歳したオッサンたちが、である(涙)。しかし致し方ない。評論家の大塚英志さんもかつて『木更津キャッツアイ』を引き、「宮藤官九郎は日常に被い隠された死をリアルに描く作家である」という意味のことを書いておられたはずだ。死の予感は、ドラマの各所にあった。
5月の時点で種市先輩(福士蒼汰)と南部ダイバーが登場していたかどうかは忘れたが、えのきどいちろうさんはその時、震災後、遺体収容のためダイバーが活躍したはずで、若き日の春子(有村架純)が防波堤に書いた、「海死ね」という文字も意味深だということを言っていた。僕も後にだが、安部ちゃん(片桐はいり)が「まめぶ大使」になって東京へ行くのが気になった。ストーリー上たいした意味があるとは思えず、北三陸にいる海女さん全員が亡くなり、安部ちゃんだけが生き残るという伏線ではないかと感じた。そして先々週、ユイちゃん(橋本愛)がいよいよ北三陸鉄道に乗って東京に向かう時、「ああ、もうダメだ!」と思ったのは僕だけではあるまい。ユイちゃんは結局、あれだけかつて憧れた東京には一度も行けず、津波に流されてしまうのだ、と。
しかし、誰も死ななかった。物語は北三陸が再び立ち上がり、復興へ向かって力強く歩むという方向へ進んでいる。それぞれが心に深い傷を負っているのだが、クドカン氏はそれについても特にくどくどとは描かず、例によって軽食&喫茶「リアス」(夜はスナック「梨明日」)で繰り返される、脱力系のギャグで覆い尽くしている。傷ついた過去を持つのは誰もが同じ。大切なのは、明日に向かって生きていくことなのだと言いたいのではないか。