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一昨日の日記で清水俊二訳版『長いお別れ』の、謎の「ぼく」問題について書いたら、フェイスブックの方に「2006年第67刷(155頁9行目)ではさすがに『私』に改められていますね」というコメントを頂いた。僕も今日は午前中より外廻りをしていたので、会社に戻る途中渋谷のブックファーストに寄って立ち読みしてみた。現在最も新しい版は2013年4月10日発行の第78刷(!)。文章はこうだ。〈だが、意味が通じなかった。彼女は帳簿に記入を終わると、私を見上げて言った。「ピーターズさんにお知らせします」〉。つまり上記の方が言われたように、ただ「ぼく」が「私」に変えられているだけ。やはり単純な校正ミスだったというのが真相のようだ。出版界の末席の隅っこにいる身としてこんなことを言うのが良くないのは重々わかってはいるけれど、僕は──あくまで個人的に、だが──100%誤植の無い本なんて、果たして存在するのかな? なんて思う。
繰り返すけれどあくまで個人的に、ですよ。誤植のある本というのは言わば不良品であり、絶対あってはならない。絶対にダメなんだけれど、たとえば文字数の少ない児童向けの本や絵本などならいざしらず、この『長いお別れ』のような480ページ強、400字詰め原稿用紙になおすと約1,000枚、全403,200字以上もある長編小説になると、よほど徹底しない限り間違いが生まれないはずがない。そんな気がする。僕は2007年に『猫の神様』という本を出した。通常校正というのは担当編集者と他1名くらいでまずは行い、外部のプロの校正者にもチェックを依頼し、そうやってある程度整った原稿を著者に渡し、いわゆる〈著者校〉というものを経てから最終的に、再び担当編集者が仕上げる──そんな段取りを踏むのではないだろうか。ただ、新聞や大手の出版社には編集部とは別に「校閲部」というセクションがある。校閲とは簡単に言えば、校正が文字や言い廻しの間違いを正すのに対し、内容の事実関係まで踏み込むことである。 校閲については書き始めると長くなるので別の機会にしますが、まあ、そうやってギリギリと万力でネジを締め上げるが如く文章を研ぎ澄ましていくわけです。で、そんな中でも新潮社の校閲は泣く子も黙るというか(涙)、どこよりも完璧主義だと業界内では言われているそうです(ちなみに作家の石井光太さんがこのような→ツイートをされています)。『猫の神様』は書き始めてから刊行まで丸1年かかったが、初稿を渡したのは6ヶ月後くらい。つまり残りの半年はそうやってひたすらギリギリと推敲を重ねていったわけです。特に担当編集さんがものすごく優秀で厳しい人だったこともあり(しかも美人!)、僕は徹底的に鍛えられました。それはもう、デキの悪い小学生が国語の居残り授業を受けさせられるようなものであり、「日本語とは何か?」ということをテッテ的に叩き込まれた(現在それが身についているとはあまり思えないが、涙)。また、編集さんとしてはそうやって初稿の段階で文章を仕上げておかないと、土壇場になって校閲から大量に赤字の入ったゲラが戻って来てしまい大変なことになる──そういう危惧もあったのだと思う。 校正というと、一般の方は誤字脱字を直すことと思われているかもしれないが、実際それはあまりたいしたことではない。問題は用語の統一だったり時制の一致だったり、論旨に矛盾がないかをチェックしていくことだ。そのうえでどうしたら内容を読者にわかりやすく正確に伝えられるかを考えていくことだと思う。用語の統一なんて単純な作業だと思われるかもしれないが、考え始めるとけっこうキリがない。たとえば著者が数には算用数字を使いたいと言った場合、すべてを機械的に統一すればいいということにはならない。2013年8月27日なんてのは算用数字でいいが、「私、彼が1番好き!」「1度や2度の間違いじゃないんだぜ」なんてのはどうでしょう? この場合の「1番」は「2番より上」という意味じゃなくて「誰より」だろうから「いちばん好き」かな? 「1度や2度」も慣用句的に考えればココはやはり「一度や二度」と書くべきか。さらにそれらがひとつの文節の中で混在した場合はどうする? 「8月27日、晴れ。今日はデート。私、彼が1番好きだけど、浮気が1度や2度じゃないのよ」とか。これはまあ元の文例がヒドイから実際にはありえないだろうが、同様の作業が『長いお別れ』で言えば480ページ、原稿用紙1,000枚、全 403,200字続くとなると、想像しただけでアタマがグラグラする。 で、そうして細部をギリギリと締め上げるような作業を続けていくと、ある時ポカンと単純なミスが出る。言わば「木を見て森を見ず」ならぬ、「森を見て木を見ず」状態とでも申しましょうか。9回ツーアウトまでノーヒットノーランに押さえていたピッチャーが、下位打線に内野安打を打たれるような。だから件の清水俊二訳版『長いお別れ』1992年発行47刷のように、フィリップ・マーロウが思わず「ぼく」と言ってしまうような極めて単純なミスが生まれる。決していいことではないが、僕は個人的に非難はしたくない。むしろ微笑ましいというか(←「個人の感想です」とテロップが入る)。ちなみに『猫の神様』は2012年におかげさまで講談社さんで文庫化して頂きましたが──この、講談社の校閲というのも「スゴイ!」と評判──新潮社で半年間かけ、あれだけギリギリとやってきたにも関わらず、校閲さんからは3箇所疑問点が出されました。それはもう間違いとは呼べない、黙っていれば誰も気づかない、非常に些細な用語の統一に関するクエスチョンでしたが、まあ、そういうことでありましょう。 その点、こういうweb上のブログがいいのは、間違いを書くと必ず読者の方が「違ってますよ」とご指摘のメールやコメントをくれることだ。僕は時々冗談としてだけど、「本もパソコンのアプリケーションのように、まずはβ版というのを発売して読者にミスを指摘してもらえばいいのに」なんて言うのだけれど、やっぱりそういうのはダメなのかな(涙)。電子書籍の時代になれば決してジョークじゃなくなるような気もするのだけれど。ところで今日の日記、誤字脱字・変換ミス等なかったでしょうか。大丈夫かなあ?
by tohramiki
| 2013-08-27 09:26
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