昨日、中村京子ちゃんが経営する「中村酒店」の10周年記念パーティに参加した──と書いた。この30年来の友人のことを何と説明すればいいだろう。Wikipediaには「日本のAV女優・タレント」とある。確かに20代の前半、AV黎明期から活躍。現在でも熟女物はもちろん、最近は若い女優さんのお母さん役、時にはお祖母ちゃん役まで(笑)こなすので、その出演本数はおそらく断トツで日本一。ギネスブックに登録されてもおかしくはないのだが、彼女はAVのお約束であるいわゆる「本番」というものをデビュー以来一切したことがない。それがポリシーなのだ。だからAV世代ではあるのだが、どちらかというとその在り方はにっかつロマンポルノの女優さんに近いのかもしれないし、実際に主演作もある。
しかし京子ちゃんほど、「女優になりたい」という功名心や上昇志向と無縁の人はいない。同時に彼女はヌードモデルとしてデビューした直後から、『平凡パンチ』他各誌に連載を持つ売れっ子のライターでもあったわけだが、「女流作家として活躍したい」というような野心もなかったようだ。先日、勝谷誠彦氏と会った時、彼が早稲田の学生の頃から風俗ライターとしてデビューしていたという話になったのだが、僕らの世代にはそうやって大学生でありながらマスコミに出入りする人が多かった。有名どころでは、秋元康さんは中央大学在学中から放送作家として月収100万円近くあったというし、いとうせいこうさんは早稲田在学中からコントグループを結成して活躍していた。そして中村京子ちゃんも、実は同じ流れの中にいる。

彼女がデビューするきっかけになったのは1982年の「にっかつ新人女優オーディション」だった。しかしそれに出場した理由がふるっていて、当時静岡女子大在学中だった京子ちゃんには、地元の国立静岡大学に通う彼氏がいたのだが、二人はある日ちょっと派手めの喧嘩をする。そこで「彼をちょっと心配させてやろう」という悪戯心でそのオーディションに応募してみたら書類選考で合格してしまい、「マア、東京に遊びにいくのもいいか」と上京。さっき言ったように京子ちゃんは女優志望でもなんでもない。ところが最終選考の水着審査で「ブラジャーを取ってください」と言われ、まわりの女の子たちが次々とトップレスになる中自分だけ「イヤ」とも言えず(涙)。しかもその光景はテレビの深夜番組で全国放送されてしまう。
結果、激怒した彼氏に殴られ友人たちからも総スカンを食い、和歌山に住むお母さんは泣いて電話をしてくるわで修羅場となるわけだが、けれどそこで京子ちゃんはハタと考える。「ハダカになるってそんな悪いことなんだろうか?」と。確かに勢いであまり深い考えもなくオーディションで胸を出してしまったが、別に誰かから非難されることじゃない。そう思った彼女はとある女性マネージャーに声をかけられたこともあり、静岡から週末だけ東京にやって来る出稼ぎ女子大生モデルになるのである。京子ちゃんとの仕事で想い出深いのは、彼女が吉本新喜劇に客演していた時に、取材で同行させてもらったことだ。これもWikipediaにリンクされていた。
「もしかして花月」。「吉本電鉄花月駅」を舞台に島田紳助・松本竜助が駅員、桑原和男が駅長で繰り広げられるコメディ。京子ちゃんは売店の胸の大きい看板娘という役柄だった。調べてみると1985年の8月。あれも暑い夏の出来事だった。
※写真は『ボディプレス』1985年10月号、「モデルの肖像」より。大阪取材の後。当時京子ちゃんの住んでいた西武新宿線下落合駅近く、少し秋めいてきた落合中央公園にて。撮影・杉本健一。data:ニコンF3、ニッコール24mmf2.0、Kodak・TX400を3200に増感。
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