昼寝をしていたら夢を見た。夢の中の僕はとても忙しい。原稿に追われ徹夜が続いている。けれど充実している。身体には力がみなぎっている。電話が鳴る。取って相手の声を聞き、そのわけを理解した。Mさんだった。よく通るバリトンで「どう、トーラくん。調子は?」と訊く。今は80年代なのだと判る。24才で小さな編集プロダクションを首になった時、最初に声をかけてくれたのが版元の編集者・Mさんだった。「もうこの業界に未練はないなんて言うつもりじゃないだろうね」と、芝居かがった言い廻しをする人だった。けれどそんな台詞を真顔で言ったかと思うと、照れて笑う時もあった。僕より6、7才年上だったから当時30才そこそこ。サーファーでスタイリッシュで、会社では真冬でもプレーンな白いTシャツ一枚でデスクに向かっていた。
訪ねていくと、「おお、来たか。珈琲飲みにいこう」と、ボアの付いたアメリカ製のボンバージャケットだけをTシャツの上に羽織り、外に出た。足元はリーヴァイスの501。ボンバージャケットとはその名の通り「爆撃機乗りの上着」であり、映画『ライトスタッフ』なんかを見ると、チャック・イェーガーを演じるサム・シェパードも、革ジャケットの下はTシャツだけだ。つまりMさんの着こなしは本人がどれだけ意識していたかは別として、本物だったわけだ。昼寝から起きてテレビを点けると、今日から始まったNHK朝の連ドラ『あまちゃん』をやっていた。『純と愛』からの設定そのままにHDDレコーダーで録画されているから、いつものように仕事終わりで深夜に観た。物語は1984年から始まっていた。
Mさんの会社は四谷三丁目にあった。四谷消防署の向かいの本屋で、秋山道夫プロデュースの雑誌
『活人』(毎日新聞社)の創刊号を見つけたのはその帰りだったはずだ。調べてみると1985年のようだ。Mさんは何をしているのだろう。数年前に会社を辞められたと聞いたきり、今や共通の知り合いもいなのでまったく判らない。